またまた小林正観さんの本。最近「頼まれごと」が多くなっているのは、正観さん流に言わせると「幸せ」なんだろうなあ。ああ、し・あ・わ・せ!!!!(^^)
小林正観さんの、いちばんいいお話を集めた「ベスト・メッセージ集」第3弾!またまたそのエッセンスを紹介しよう。
・事故や病気に遭遇した人の中には、精神的なショックから、なかなか社会復帰できない人がいるそうです。社会復帰でいるか否かは「ある一点」を乗り越えられるか(理解できるか)どうかにかかっている。「ある一点」とは、「不条理を受け入れるか(感謝するかどうか)」です。
・人生の最終的な目的は「頼まれごとをして、喜ばれる存在になること」に尽きます。その目的に至るまでに「3×33%」。つまり「99%」の段階に到達する必要があるようなのです。
第一段階(33%)どんなことがあっても「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないことでです。
・では、残りの「1%」はいったい何なのでしょうか。どうも、この「1%」は、自分の力で得られるものではないようです。残りの「1%」とは「感謝される存在になる」ことらしいのです。「まわりから与えてもらうもの」「まわりが評価してくれるもの」です。それが「徳」というもののようです。
・結論を言ってしまいますと、人生というのは、努力をしたり、頑張ったりする必要はないようです。おもしろいことに、人間の業績というのは、「頼まれごと」によって、全部決まってくるようです。
・「偶然に起きることが多すぎる」のは、神様がいる証拠らしい。
・「しあわせ」の語源は「為合わせ」です。お互いにしてあげることが「幸せ」の本質なのです。
・「福耳の人や目が大きい人はなぜ、うまくいくのか」
・未来は確定的に存在していて「自分が生まれてくる前に書いたシナリオ通り」に進んでいくとするならば「未来を心配すること」に意味はないということになります。
・お釈迦様の集団では、小さな布切れを拾ってきては、それを縫い合わせ、それぞれの服にしていました。弟子の一人に、目が見えなくなった弟子がいました。彼は「針に糸を通す」ことができません。そこで、大きな声で「どなたか、私に施しをし、功徳を積んで、幸せになりたい方はいらっしゃいませんか?」と声を掛けました。
すると、目の前を通った人物が「ぜひ、私にやらせてほしい」と言いました。なんと、その声の主は、お釈迦様でした。弟子は慌てて「大変失礼なことを申しました。お釈迦様にお願いするわけにはいきません。今の言葉は聞き流してください」と言って恐縮したそうです。するとお釈迦様はこう答えたそうです。
「なぜ私ではいけないのか。私だって、幸せになりたい」
・人生の目的は「喜ばれる存在になる」=「頼まれごとをする」。「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わなくなると、3ヶ月から6ヶ月くらいで「頼まれごと」がはじまるようです。
・「幸せ」というものは「今、足りないものを探して、手に入れること」ではなくて「自分がすでにいただいているものに感謝し、自分が恵まれていることに気がつき、嬉しい、楽しい、幸せ……、と生きていること」なのです。
・そして、そのために実践することは、「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」を淡々とやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。「そ・わ・か(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」と口に出して言い、逆に「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないこと。
すると、神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり「喜ばれる存在」になる。これこそは「人生の目的」であり「幸せの本質」なのです。
・「頼まれごと」でお金を払うと言っている人に、「私はお金を受け取れません」と断ることを「驕り」「高ぶり」「うぬぼれ」「傲慢」いいます。
・「200万ほしい」「300万ほしい」と願ってもいいのですが、そのお金を「自分のためだけに使う」のではなくて「みんなに喜ばれるような使い方をしたい」と願っていると、どうも神様が聞いてくださるみたいです。
・武田信玄が病死したあと、息子の武田勝頼は、織田・徳川連合軍に大敗し武田家は滅亡。このとき家康は、武田家の遺臣たちの、多くを引き取ったそうです。なぜかというと「信玄がどうやって人を使っていたのか」「家臣とどのように接していたのか」「部隊の司令官とどのようなコミュニケーションを取っていたのか」を聞くためだったといいます。家康が天下を取ったのは、敵方の家臣を引き取って「自分の味方にした」ことも一因だと思います。
・人間関係も、会社経営も「自分の力」で成し遂げているのではなく「お陰様」でできていることがわかると、商売のコツが見えてくる気がします。
・「景気が悪い」「不況だ」「社会全体が落ち込んでいる」と愚痴や泣き言を言う暇があったら、「いかに自分が喜ばれる存在になるか」を考えるほうがいいと思います。
・もし体がたくさんあったら、自分の分身にやらせたいことが「3つ」あります。ひとつ目は、喫茶店の経営。2つ目は、クリーニング店の経営。3つ目は、ホテルの経営。私が喫茶店を始めるのであれば、半年くらいかけて100名水の源泉を訪ね歩き、源泉からいちばん近い農家を探します。そして「電話1本かければ、ポリタンクで水を送ってもらえる」ようにお願いをしておきます。それから喫茶店をオープンするのです。「今週は、白山の名水でコーヒーを淹れます」「翌週は羊蹄山のふもとの名水で」「次の週は青森のブナ林の湧き水で」といったように、2年で100名水のすべてを飲むことができます。私は100週、通い続けてしまうことでしょう。
・クリーニング店の経営をはじめるときは、事前に「1万種類。10万点」のボタンを買って「ボタンの部屋」をつくります。そして、ボタンの取れているワイシャツやブラウスを預かったら、その中から同じボタンを見つけて、黙って付けておくのです。「おたくにクリーニングを頼むと、ボタンが付いて戻ってくることがある」と声をかけて気たら、私はフッフッと笑いながら「ボタンの部屋」に案内します。その人が「ワーッ」と驚く顔を見てみたいからです。
・ホテルを経営するなら、10室しかない小さなホテル。部屋に名前をつけていきます。「西遊記」になぞらえて、ひとつ目の部屋を「長安」、2つ目の部屋を「蘭州」、3つ目の部屋を「敦煌」。「バーミヤン」「ガンダーラ」と名づけ、10室目を「天竺」にします。こうしたホテルがあったら「旅心」が刺激されるのではないでしょうか。私なら、どうしても「天竺」まで行ってみたいと思います。
・「不幸」と「幸せ」はワンセット。「不幸」は「幸せ」の前半分。
・お酒を飲む人は、飲み込みたいこと(悩みや問題)がたくさんあって、お酒というものを借りて飲み込んでいるのではないでしょうか。タバコを吸う人は、タバコの煙という形を借りて、吐き出したいものを吐き出しているのかもしれません。
・私は、いままでの研究の結果「日・月・火・水・木・金・土」の7種が人に元気を与えるらしいという結論を得てきました。
日=太陽の光 月=月光 火=炎、燃えている火 水=水(激しく動く水ほどエネルギーが強い。滝がいちばんで、温泉もよい) 木=樹木、林、森の中 金=ゴールド 土=土(荒地を裸足であるく。砂丘や砂浜もよい)それプラス「人」。人は「人」によってパワーやエネルギーを充電されるらしいのです。
・世の中を 暗い暗いと嘆くより 自ら光って 世の中照らそう
・人生の最終的な目的は「頼まれごとをして、喜ばれる存在になること」に尽きます。その目的に至るまでに「3×33%」。つまり「99%」の段階に到達する必要があるようなのです。
第一段階(33%)どんなことがあっても「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないことでです。
第二段階(66%)「コップに水が半分入っていたとして、半分も残っていて嬉しい。」「嬉しい」「楽しい」「幸せ」という概念を見いだせるようになる
第三段階(99%)「半分も残してくださって、ありがとう」と感謝できる段階です。
どうも、私たちは、すべての現象について、この「第三段階」で受け入れることを問われているよなのです。どんなことがあっても、どんな事件に遭っても、どんな現象が起きても、それを99%まで受け入れる。病気も、事故も、災難も、すべてを「感謝の対象」として受け入れていくことが、私たちに与えられた課題らしいのです。
・では、残りの「1%」はいったい何なのでしょうか。どうも、この「1%」は、自分の力で得られるものではないようです。残りの「1%」とは「感謝される存在になる」ことらしいのです。「まわりから与えてもらうもの」「まわりが評価してくれるもの」です。それが「徳」というもののようです。
・結論を言ってしまいますと、人生というのは、努力をしたり、頑張ったりする必要はないようです。おもしろいことに、人間の業績というのは、「頼まれごと」によって、全部決まってくるようです。
・私たちの身近には「もっと楽しく、ドラマチックでスリリングで、ダイナミックな映画」が存在します。主演、監督、シナリオもすべて「自分」。タイトルは「我が人生」、鑑賞料金は「無料」。この映画は長編映画で「自分」の寿命が尽きるまで展開します。「今日はどんな人があらわれるだろう」「今日はどんな事件が起きるだろう」と楽しんでいるうちに、いつの間にか、社会の中で、ある種の「役割」をこなしはじめている自分に気づくようになります。優秀なシナリオライターであれば、後半の人生は、もっと劇的でもっとおもしろいストーリーを用意しているはずです。
・人生は「修行の場」として設定されているわけではないそうです。「人生を楽しむため」にほかならないと思います。
・「つらい」と思うから「つらい」のであって、「つらいという現象」が存在するわけではない。
・神様が嫌いな3つの感情は「復讐心」「嫌悪や憎悪」「自己顕示欲」
・「偶然に起きることが多すぎる」のは、神様がいる証拠らしい。
・「そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい」と思うと、超能力が引き出されるらしい。
・やる気は必要ないそうです。よき仲間から「頼まれたからやっている」と思いながらやっていけばいいのです。思いが強ければ強いほど、「我」が強ければ強いほど、宇宙は味方をしてくれないらしい。
・「しあわせ」の語源は「為合わせ」です。お互いにしてあげることが「幸せ」の本質なのです。
・「福耳の人や目が大きい人はなぜ、うまくいくのか」
・世の中を 暗い暗いと嘆くより 自ら光って 世の中照らそう
シンプルわかりやすいけど、深い。深いなあ。がんばらずに淡々を感謝しながら生きていこう!超オススメです。(^^)