「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「洋食ウキウキ」(今柊二)

 

ワタシがひとりメシするときに、立ち食いそば、ラーメン、町中華、定食屋、立ち飲みというのがほとんど。寿司屋や洋食はほとんど食べないなあ。それは嫌いなのではなく優先順位のモンダイなのだ。(・∀・)

 

さて、この本。珍しく洋食の本。
そうだ、ニッポンには洋食があるじゃないか!ルーツをさかのぼってホテルのレストラン、軍港の横須賀、呉、苫小牧など産業都市へ。はたまた懐かしのデパート食堂、普段遣いのファミレス、がっつり食うぜ学生街。ご存じ「定食評論家」が津々浦々であんなメニュー、こんなメニューを食べ歩く」そのエッセンスを紹介しよう。


・そもそも「洋食」の「洋」とは西洋のことだが、本格的に到来したのは幕末の開国の時期。最初は西洋人たちのための食事であったのだが、次第に日本人たちも食するようになったのだ。開港場となった横浜、そして江戸などで西洋料理の店が徐々に開かれていった。横浜では、外国人居留地(当時は外国人の居留地を指定し、関門を置いて出入りする人を取り締まった。いまでも横浜に「関内」という地名で残っている)にいくつか外国人用ホテルを設立されたが、中でも明治6(1973)年に誕生した「グランドホテル」は、大正12(1923)年まで営業を続け、洋食を提供した。

 
・洋食は料理自体が新しいだけではなく、実は素材自体もそれまで日本ではほとんど使用されていなかった「新奇なもの」が多かった。つまり、それは「肉」「牛乳(乳製品)」「パン」「西洋の野菜」などであった。実は洋食初期の歴史を記そうとすると、それら食材の歴史に触れざるを得なくなる。
 
「洋食の場発展史と「ウキウキ分析」「メニューの研究」「現代の洋食継承者ーファミリーレストラン」「お子様洋食ー「お子様ランチ」」「メインの研究(ハンバーグの誘惑)」「洋食ニッポン・全国めぐり」「人形町(来福亭、芳味亭)」「洋食キラク」「たいめいけんのカレーライス」「上野(フォレスティーユ精養軒)」「神保町(ランチョン、キッチンカロリー)」「横浜(センターグリル、ホフブロウ、ミツワグリル、タマガワ、イタリーノ)」「北千住(三幸のビーフシチューセット)」「西荻窪(キッチンキャロット)」「未来の洋食、世界の洋食」などなど。

 

まだまだ未知のお店、たくさんあるなあ。行ってみよ。オススメです。(・∀・)