先日、ここで採り上げたの本。オモシロイ視点だったねー!♪
新型コロナウィルス感染に対して、どうして自粛する人とそうでない人とに分かれるのかを霊長類学(サル学)などをもとに考察しようと試みた内容だったんだよね。
新型コロナウィルス感染に対して、どうして自粛する人とそうでない人とに分かれるのかを霊長類学(サル学)などをもとに考察しようと試みた内容だったんだよね。
さてこの本は、その続編という本編というか。「ひきこもり」など周囲とのコミュニケーションがうまくとれない若者と、「ケータイ」でいつも他人とつながりたがる若者。両者は正反対に見えるが、じつは成熟した大人になることを拒否する点で共通している。これは「子ども中心主義」の家庭で育った結果といえる。現代日本人は「人間らしさ」を捨て、サルに退化してしまったのか?気鋭のサル学者による、目からウロコの家族論・コミュニケーション論」そのエッセンスを紹介しよう。
・サルを研究していますと「サルに家族はあるのですか?」と質問を受ける。その際「ありません」ととりあえずは答えることにしている。彼らの一生をつぶさにたどってみると、生まれてこのかた、見知っている者同士のつき合いというものから脱却した新たな生活の可能性というのは、非常に乏しいことに気がつく。
・具体的にニホンザルのメスの場合、まず九分九厘まちがいなく生まれた集団で一生を終えるのである。また集団内部でも、自分の親、きょうだい、子とのつき合いにほとんど終始して、大半の時間を過ごす。オスは少し異なるが。
・だから「家の外」へという展開を一生のうちで持つことが稀である以上、そもそも「家族」という単位を認めることが難しい。母子の結びつきを家族とみなすのならば、集団全体が家族と言っても一向に差し支えないことになってしまう。そして、ここにずっととどまりたいと願う以上は、サルは「自立しない大人」とたいへん類似した人生を送っていることがわかるのである。もしそうした人間を便宜的に「マザコン」と総称するならば、サルは一様にこの範疇に含まれると言っても過言ではないかもしれない。
・日本の育児関係の書物を開いてみて「他人の気持ちのわかる子になろう(育てよう)」といった文面に行き当たらいことはまずない。同じような箇所で、アメリカの本には「自分の意志を持つ子になろう(育てよう)」とか書かれいる。日本では周囲とうまくやって、すなおに言うことを聞くように。。アメリカでは個人として目覚め、自分を主張するようになると把握している。
・サルが仲間と交わす音声によるコミュニケーションは、現代人は携帯電話(ケータイ)でメールをやりとりしているのと、本質的に同一の機能をはたしているという事実を現している。そして、IT社会の私たちのコミュニケーションは、たかだかニホンザルのそれと変わらないことを意味する。つまり、人間もメル友を持ったサルに過ぎない、ということなのである。
「マザコンの進化史」「子離れしない妻と居場所のない夫」「メル友を持ったニホンザル」「「関係できない症候群」の蔓延」「社会的かしこさは四〇歳で衰える」「そして子どもをつくらなくなった!」など。
やっぱり人間もサル族なのかねー!?勉強になるなー!オススメです。(・∀・)♪