このいわゆる「エジプト写真」とわれわれが俗に呼んでいる「スフィンクスとサムライ」の写真をいつ見たんだろう!?衝撃的だったよねー!この時代にサムライが海外に行っていたんなんて!!!その明治維新直線の幕末外交秘録」そのエッセンスを紹介しよう。
・「エジプト写真」とわれわれが俗に呼んでいる「スフィンクスと27人のサムライ」の写真は、百二十余年も前に(元治元年、1864年4月4日)写されたものなのに、珍しく写された年月日、時間をはじめとして、被写体の人物の名前、経歴、その後などが、かなりくわしくわかっている。傑作である。量感あふれる力作、といってもいい。この写真を、もう一度よく見て頂きたい。そして、できれば彼等がこの一瞬、スフィンクスを背にして心の中で何を思い、何を夢みていたかを想像してほしい。
・元治元年は、「明治維新」の1968年のわずか4年前。徳川家の家臣だった一行は、このヨーロッパ旅行から帰ると、すぐに天地が逆さまになったような激動の渦の中に巻き込まれる。身分、年齢も大名から小使いまで、44歳から17歳まで実に多彩である。しかし唯ひとつ、共通した意識があった。それは
「これからの日本は、一体どうなってゆくのか?」という鋭い危機感と、
「われわれはどこに行っても、間違いなく、日本人である」という、強い自負心であった。
・一体、この1964年に、世界で何が起こっていたのか?34人のサムライたちは、その激動を前にして、何を語り合っていたのか?その危機感と予言は、1988年春の今日とどのようにつながっているのか?
・「われわれ日本人からみれば、外国人のやることはすべておかしい。しかし、外国人からみれば、われわれ日本人のやっていることは、すべておかしいんだ。日本には日本のしきたりがあり、アラビア人にも、ヨーロッパ人にも、それぞれのしきたりがある。われわれが知らなければならないのは、そのしきたりのおかしさではなく、何故そのようなしきたりが出来たか、ということだ」
・復一は、(スフィンクスに)登りはじめたときに想像もしていなかった、大きな感動を味わっていた。これは山ではない。人間が、同じ人類が作り上げた途方もない建築物なのである。それはまるで「人間は、こんなことまで出来るのだ」と、他の人間をあざ笑っているように感じられるほど、想像を絶する巨大なものなのであった。
この本が書かれたのが、1988年だから、すでに35年前かあ。それとビックリしたのは、ワタシが生まれた1964年のちょうど100年前に、この写真が撮られたということ。これにはビックリだわー!♪あの時代の息吹とサムライの興奮が伝わるとねー。オススメです!♪(・∀・)♪