酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「西鉄ライオンズとその時代 ボクらの最強ヒーロー伝説」(和田博実・益田啓一郎)

ワタシが野球興味を持った頃は、すでに「太平洋クラブライオンズになっていたので、全盛時の西鉄ライオンズを知らない。ナマで見たかったなあ。野武士軍団の大下、稲尾、池永、中西、豊田、仰木を!福岡にいて「兵どもが夢の跡」と思いを馳せる。( ・∇・)
 
さてこの本。福岡図書館で探してきましたよー!♪
「福岡を本拠に5度のリーグ優勝、日本シリーズ3連覇、そして昭和33年は3連敗から“奇跡の逆転4連勝”を成し遂げ「日本プロ野球史上最強軍団」と言われた西鉄ライオンズ―。さまざまな伝説を生み、いまも語り継がれるその魅力を、当時のエネルギーを伝える写真とともに振り返る。半世紀前の町と人々の熱狂がよみがえる。西日本鉄道の秘蔵写真で見る“野武士集団”の軌跡」そのエッセンスを紹介しよう。

 

 
▲ ナイター設備が整う前の平和台球場内野席からの試合風景(昭和28年)
 

▲ 日本シリーズ第3戦、最高殊勲賞の川崎徳次投手、敢闘賞を受賞した新人の仰木彬二塁手(昭和29年11月2日)
 

▲ パ・リーグ開幕日、試合前のダグアウト風景。大下弘外野手、玉造陽二外野手、豊田泰光内野手ら(昭和32年3月30日)
 
・「西鉄ライオンズが生まれた昭和25年より47年まで、そして平和台球場プロ野球が使用し始めた昭和25年より、今日のこの日まで、両方共にたずさわれたことを誇りと幸せに思います。こぼれんばかりの思い出を心の風呂敷にしっかりと包み、平和台球場ありがとう、そしてさようならと、この放送室を後にしたいと思います本日は皆様ほんとうにありがとうございました」
 
平成九年11月24日、さよなら平和台球場の試合後、放送室からスタンドの皆様に挨拶したときの私の言葉だ。西鉄ライオンズは私の青春そのものだった。23年間、球団職員として一日も休まずに西鉄ライオンズ全試合の球場アナウンスを担当した。一軍も二軍も全てである。
 
最強チームと呼ばれた西鉄ライオンズ。しかし、一朝一夕にそうなったのではない。選手や球団職員の日々の努力、そして球場に通い時代を共有したファンの声援がひとつになって、はじめて今も語り継がれるチームになったことを、私は知っている。(元平和台球場ウグイス嬢 今泉京子)
 

▲ 平和台球場での西鉄クリーンナップのスナップ。豊田泰光内野手中西太内野手関口清治外野手昭和35年9月3日)

 

カッコいいね。強そうだね。カラーの写真がウレシい!♪ 台風が過ぎたら、平和台球場に行ってみよう!オススメです。(・∀・)