「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」(中牧昭二)

そおかあ!この本、32年前かあ!タイトルは聞いたことがあったけど、読むのは初めてだあっ!!!こういう内容だったんだあ!!!(・∀・)
 
 
「元スポーツメーカー社員が驚愕の「真実」を訴える。プロ野球界に大きな波紋を投げかける。これは告発書であると同時に鎮魂歌だ」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
グラブを売るのに、広告費を一円も払わず、無料で宣伝してもらえる方法がひとつある。それは甲子園に出場してくる選手たちに一人でも多く使ってもらうことである。甲子園の高校野球は、黙っていても日本中にNHKが放送する。その電波に乗ってしまえば、何億円かかるか想像もつかない宣伝費など一円も使わなくてすむわけだ。このやり方を全国的に広げることで、カドヤスポーツの野球用品の売上は、年間2000万円ほどだったのが、一躍、8億円にまで伸びた。その代わり経費もかかる。年間で数千万円といったところだろうか。そしてそのカドヤスポーツの最大のターゲットとなったのが桑田真なのである。
 
桑田は、子供らしさというものが微塵もなかった。どこか超然としており、すでに25、6歳の雰囲気を身に着けていた。桑田は当時の高校生には珍しくアルコールを一切口にしないという。炭酸飲料も飲まない。
 
・桑田は一人で東京に出てきた。ソープランドに連れて行ってほしい」私はどきりとした。あどけなさの残る顔立ちだったが、妙に大人びたクールな表情をしていた。その時吉原のどのソープランドに連れて行ったのか覚えていない。なにしろ、その後数えきれないくらい吉原に足を運んだからである。「F」「A」「P」といったVIP専用の控室があるソープへは何度も行った。「筆おろしをしたのは、韓国なんだ。相手はキーセンや」高校二年生の日韓定期戦で、韓国に行ったときだという。桑田に清原の話を持ちかけると露骨に不快そうな顔になる。知らず知らずのうちに清原の話は禁句になっていた。ぼくはこっち(東京)にも女の子がいるんだ」時分は女性にモテるんだということを誇示したいようだった。それから桑田は一週間ぐらい東京に滞在したが、私は毎日のようにソープランドへ連れていった。当時、桑田は17歳、私は29歳、まさかこの若者が自分を徹底して利用しようと考えているとは思いもしなかった。
 
清原と名前を呼ぶことはほとんどなく、たいがいはあいつと呼んだ。ライバル意識というきれい事ではすまされない底知れぬ不気味さを感じた。
 
「昭ちゃん、裏金で月に20万円くれたら、使ってもいいよ。それもノータックスだよ」上司は苦り切った顔をしたが、結論は「やむを得ない」ということだった。
 
彼は強烈なプライドの持ち主である。自分が最高のピッチャーだと思っている投手は多かれ少なかれそうだが、桑田の場合は極め付きの自信家である。他の投手も評価しない。彼は投球術ばかりでなく、生き方にまで自分のスタンスを持っている桑田は女性と金銭にはだらしないが、自己流の哲学を持っている。いきおいそれがない人は小馬鹿にする。あいつらとは付き合えない」と露骨に言う。他の選手が敬遠するのも無理ないといえる。よくいえば群れを嫌う一匹狼だが、本当は自己本位に徹しているだけなのである。
 
・桑田は二年目の契約更改の席でも「裏金を500万円寄こせ」と要求した。桑田に渡したのは、裏金やクラウンだけではない。高級腕時計は10個以上、ゴルフクラブは5、6セット、100万はする高級背広など、数えきれない。
 
「じつは、カドヤを辞めるつもりでいる」と、私ははっきり言った。そのとき、桑田はなんと答えたか。私は生涯忘れることができない。「そうか、おまえは、辞めるのか。辞めてもいい。ただし、裏金だけは寄こせ」ときおり見せるあの冷たい氷のような目付きであった。これだけ尽くしてきた私の身の振り方などまったく無関心で、自分に入ってくる金のことだけを考えている。
 
「身も凍るような冷酷無比の桑田の人間性」「桑田よ、それでも君は幸せなのか!?」「水野よ、君にはいいところだけを伸ばして欲しかった」「須藤大洋監督、私はあなたも告発する」「私が見たプロ野球選手たちの知られざる素顔」など。