「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「自閉症の僕が生きていく風景」(東田直樹)

またまた読みました、自閉症患者の東田直樹さん。どのページを開いても、その言葉にハッと気付かされる。いままでどれだけ自閉症患者のことを知っていたのだろうか?人間の根源的な、原始的なところってここにあるんじゃないか?とさえ思う。


自閉症者として生きる日々の様々な場面での感情や体験を、18~20歳の視点で綴った感動エッセイ。連載時から反響を呼んだ単行本『風になる』を改題して文庫化!演出家・宮本亞門さんとの対談も収録」そのエッセンスを紹介しよう。


僕がどんなに人と違うのか、ということに気づいたのは幼稚園時代です。奇声をあげたり、自分勝手に動いたりするたび、先生や友達が僕を怒ります。僕は、なぜ、自分が怒られるのか、まるでわかりません。気がつくと、僕はクラスの問題児で、みんなを困らせる存在になっていました。この頃、自分が悪い子だということを、初めて知ったのです。(どうしたら、みんなのようになれるのだろう)僕は、いい子になりたくて、仕方ありませんでした。
 
僕は孤独でした。人は、いつも突然現れて何かしろと命令するし、僕の気持ちをわかってくれません友達は毎日がすごく楽しそうで、テレビの話や戦いごっこをしています。それは、僕にとってはつまらない遊びでした。とにかく、疲れ果てていました。一人でいることだけが、自分を守るために小さな僕にできることでした。一人でいられさえすれば、安心できたのです。そんな僕の心をなぐさめてくれたのが自然です
 
・僕は、お日様や風、そして砂や木が大好きでした。一緒にいるだけで、心がなごみました。お日様の光は、分子になって僕の身体を包み込みます。風は、ヒュルヒュル、ビュービュー、走り続けます。僕は、腕をぐるぐる回しながら一緒に走ります。腕を回せば、ここから新しい風が生まれるからです。この時、僕も風になります。まるで、肉体が溶けて空気にまざり、骨が伸びて水飴になったみたいに、僕の身体はなくなるのです。おかけびをあげながら走り回る姿が、みんなに奇妙に映っても、風になった僕には関係ありません。だけど、いつの間にか僕の身体には、ピノキオのような手足がくっついています。作り物のような手足を引きずり、僕は砂場へ逃げ込むのです。砂をさらさら落とすたび、気持ちもほぐれるのでしょう。
 
僕にとっては、みんなが宇宙人のように見えました。みんなは、ペラペラとわけのわからない言葉を話し、僕を珍しそうに見つめ、先生の一声で同じ行動をとります。僕は、見かけは同じ人なのに、なぜ自分はみんなと違うのか不思議でした。僕は人も、人である自分も嫌いでした。
 
僕は、日常生活のひとこまを切り取ったような作品が好きです。どこにでもありそうな風景の中にこそ、本当の幸せがあると感じています。
 
僕は、うまく会話ができないだけではなく、声のコントロールもできません。口を閉じて静かにすることさえ難しいのです。やりたくないとか、我慢がたりないとかいうものではなく、どうすれば声を出さずにいられるのか、その方法がわからないからです。
 
小学生の頃、「走って」と言われても、自分の身体をどう動かせばいいのかわかりませんでした。走ることがどんな姿なのかは、他の人を見て知っています。けれども、僕にとっては、まるで運転免許証のない人に車を動かしてとお願いするくらい難しことだったのです。
 
自閉症者は、先の見通しがつかないと不安になるといわれます。僕の場合は、予定を聞いたあと、その時自分がやっている姿を想像できれば安心です。変更があると、一度頭の中に描いたイメージを壊して、新しくつくり直さなければなりません。
 
人が空を見上げるのは、自分の心を開放させたいからではないでしょうか。空の向こうには、無限の宇宙が存在します。僕が見たいのは、空ではなく、自分の心なのかもしれません。目に映る見えない星たち、それは自分の心と似ています。僕が向かい合わなければいけないのは、僕自身なのです。
 
いまだに僕が一人で読むのは、さいころからなじみのある本です。それも、三歳くらいの幼児が読むかわいらしい絵本なのです。何冊かのお気に入りの絵本を僕は繰り返し読みます。図書館に行っても、新しい本を読むことはほとんどありません普通の人が本を読む時には、知らない世界の扉を開くような感じではないでしょうか。しかし、僕にとって本はかけがえのない友人です。ページをめくる時、僕はほっとします。絵本の中の主人公は、どんな時も変わらず、僕をやさしく迎えてくれるからです。
 
僕には絵を描く意味がわかりませんでした。立体の物を平面に描くこと自体、信じられないことだったからです。字は書けるのに、お絵かきできない僕のことが、先生も不思議でならないようでした。普通の子は、絵が描けるようになった後に、字が書けるようになるからでしょう。自閉症の人の中には、絵が描けない人もいます。その人たちは絵が描けないわけではなく、どうやれば絵が描けるのかがわからないのではないでしょうか。
 
自閉症の人にとっての幸せは何か、と尋ねられることがありますが、僕はその質問に驚きます。自閉症者はみんなとどこが違うのでしょう。こんな質問自体、僕たちを特別な人間だと区別しているのではないでしょうか?僕の望んでいる幸せも、みんなと変わりはありません。ただ、自分らしく生きていきたいだけなのです。
 
僕は、きっと死ぬまで自閉症なのでしょう。それは、自分にとって一体どんな意味があるのか知りたいのです。この意味とは、障害をもって生まれた原因ではなく、生きるための存在理由です。

 

いいなあ。深いなあ……。よくぞ言語化してくれました。書籍化してくれました!人はみな、違って良い!多くの人に読んでいただきたい。超オススメです。(・∀・)