この本はスゴい!!!今年読んだ本のベスト10にはいるねー!!!
「こらっ、山本。お前、声が小せぇーんだよ。もう1回やり直しだ」――。そう怒鳴りつけたのは栃木県黒羽刑務所の刑務官(看守)。山本とは、2001年当時、同刑務所の受刑囚であった山本譲司・元衆院議員である。彼は議員2期目となる2000年9月、政策秘書の給与を流用したとして詐欺罪により実刑判決を受けた。本書は山本氏の目に映った逮捕劇と、433日に及んだ獄中生活を赤裸々に綴ったもの」そのエッセンスを紹介しあしょう。
・事件と関係者への悔恨、家庭の父としての焦燥感、「先生」と呼ばれる立場と1人の囚人が受ける処遇のギャップ…。それらが交錯する複雑な思いを抱えつつ、子細な日記調の記録に当事者の発言を加えて、騒動の舞台裏を淡々と綴る。事件が発覚した当時は、「永田町の常識」に照らして犯罪行為という認識がなかったと告白。しかし、メディアを賑わす糾弾記事や、東京地検特捜部検事とのやり取りを通じて、事態に対する底知れぬ恐怖心が時々刻々と肥大化していったと言う。
獄中生活は、それが元議員の体験とは信じ難いほどすさんだものだ。心身に障害を持つ受刑者の世話係に配置され、汚物処理作業や下の世話に従事する様子や、「お前、自分を捨てたな」と笑う看守らの目に見えぬ圧力が冷静なタッチで記されている。
・ベテラン議員「国会議員の家族を便宜上、 公設秘書として登録して、 国から貰うその公設秘書給与を私設秘書の人件費に回す。 このやり方は、多くの議員がやっていることだ。なかには、 寝たきりになっている親を秘書登録している議員もいる。 政党によっては、公設秘書登録を党に上納させ、 それを議員活動費に回しているところもある。 それから秘書の名義貸しという言葉を耳にした。これは、 永田町の常識だ」
それは当たり前のことであって、ピンハネなどとは、 まったく思っていなかった。それどころか、 苦しい事務所運営のやりくりに協力させてもらっているという誇り さえ感じていた。それが犯罪行為にあたるという認識はなかった。 すでに、私の意識は、市民感覚から乖離していたのであろう。
・「菅直人事務所」を「管理人事務所」と読み間違えたらしい。 笑い事ではなかった。
・結局、裁判というのは、 被告人の人格をつくりあげていくために、 弁護側と検察側とが恣意的に行う演出作業に過ぎないのではないか 。ふたつの自分の虚像がつくられ、裁判の中で、 それが対立しているのだ。裁判に対して、 そんな虚しさを覚えていたのだ。
・父「たかだか服役じゃないか。 命を取られるわけじゃあるまいし、お前、事務所で、 いろいろあったようだけど、戦争だったら、 後ろから鉄砲で撃ち殺されてるぞ。懲役程度で済んだとしたら、 それは、ありがたいぐらいのことじゃないか。それに、 古今東西の歴史を見れば、牢獄の中で開眼して、 偉大な人物になった人間はたくさんいる」
・「今の私には多くの制約があり、自由時間といっても、 その自由は限られているというのが現状です。しかし、 考えることは自由です。ものを考える自由は、 誰にも侵されません。さいわい、 物や人から隔離された現在の環境は、 頭の中で様々な思いを巡らす時間に十分めぐまれています。 しかも、仕事や名誉のために使う齷齪(あくせく) とした即物的な思考からは解放されています、思う存分、 形而上学的な思考を使うことができる絶好の機会だと思っています 」
・「何といっても、 看守に目をつけられないようにすることが肝心です。先生、 先生と言って、持ち上げておくに限ります。規則に違反しても、 見逃してくれることがありますからね。なかには、 頭のおかしいバカ看守もいますが、絶対に逆らわないでください。 どんなことを言われても、ハイとだけ答えておけばいいんです」
・昼食終了時は、「ごちそうさまでした」ではなく「 いただきました」と、声を合わせるのだ。なるほど、刑務所では「 ご馳走」と呼べる佳肴(かこう)にありつくことは、滅多にない。
・塀の中では、いったい、 何を目標にして暮らしていけばいいのだろうか。 そう何度も自問自答してみたが、出所すること以外には、 刑務所生活を送るうえでの目的や意義は見つからない。 刑務所というのは、人工的に苦しみを作り出している場所なのだ。 ここでは、悦びを追うよりも、 苦しみを避ける生き方に徹するべきなのかもしれない。
・「山本さん、大変ですよ、寮内工場は。なんせあそこは、『 刑務所の中の掃き溜め』なんて言われてて、 一般工場には置いとけないキチガイやカタワが集まっているところ ですからね。障害者だらけですよ。 毎日がクソとションベンまみれらしいですよ」
・認知症はもちろんのこと、自閉症、知的障害、精神障害、 聴覚障害、視覚障害、肢体不自由など、 収容者たちが抱える障害は、実に様々だった。それだけではない。寮内工場には、目に一丁字(いっていじ)もない非識字者、 覚醒剤後遺症で廃人同様の者、懲罰常習者、 自殺未遂常習者といった人たち、それに、同性愛者もいた。
・「人のウンコの後始末をするなんて、初めは、 みんな嫌なもんですよ。でもね、すぐに慣れちゃうと思いますよ。 自分の子供のウンコだと思えばいいんですよ」
・「外に出たって、 俺みたいな前科者の障害者を雇ってくれるところなんてないよ。 たぶん、俺、また刑務所に戻ってくることになると思うな。 俺たち障害者は、世の中のどこにいたって、 居心地はよくないんだ。バリアフリーとは程遠いね。 障害者に対する周りの人間のバリア、まあ、 言ってみりゃ差別ってことになるんだけど、それは、 絶対に消えないな。俺たち障害者は、 生まれながらに罰を受けてるようなもんだってね。だから、 罰を受ける場所は、どこだっていいのだ。 また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」
・「確かに自由はない、でも、不自由もないよ。俺さ、 これまでの人生の中で、 刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。 誕生会やクリスマス会もあるし、 バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、 黙ってたって、山本さんみたいな人が面倒を見てくれるしね。 着替えも手伝ってくれるし、入浴のt機は、体を洗ってくれて、 タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、 初めてだよここは、俺たち障害者、いや障害者だけじゃなくて、 恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ。 先生さ、神様に言って欲しいよ、 人間の不良品は絶対につくるなってね」
・殺人を犯した同囚は、八人いた。人の命を奪うという行為は、 決して許されるものではないが、それぞれに、 同情すべきところも多かった。彼らが殺人に至ったのは、 間違いなく、自分が障害を抱えているということに起因していた。 生まれてこの方、差別を受けたり、騙されたりすることの連続、 それが事件を引き起こす引き金になっているのだ。彼らよりも、 自分のほうが、よっぽど悪党に思えてくる。
・一般的に言うと、殺人犯というのは、 気が短い人間だと思われがちだが、寮内工場で出会った人たちは、 そうではなかった。殺人罪の八人すべてが、 温厚でおっとりした性格の持ち主だった。耐えに耐えて、 忍びに忍んで、その挙句に、人を殺めてしまったのであろう。 彼らは、たびたび質の悪い収容者からの苛めを受けていた。
・「男にとって女っていうのは、すべてのエネルギーの根源だよ。 俺なんか、もう三年以上、女ってものを見てねぇーからな。 これじゃ体は萎えていく一方だ」
・昼食時、寮内工場でのテレビ。 特に事件報道や裁判の判決に関するニュースが流れてくると、 多くの同囚は感想を漏らす。「世の中、悪い奴がいるもんだな」「 そんな判決じゃだめだ。死刑だ。死刑しかない」「犯罪者は、 刑務所にぶち込むにかぎり」まったく他人事のような口振りだ。 よくもここまで客観的になれるものだと、感心させられてしまう。
いや〜!スゴい!これ、フィクションでは限界があるよね。実際の刑務所でこんなことが行われているなんて!よく書き残していただだきました!超オススメです。(・∀・)