「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「勝負の方程式」(落合博満)

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来期のプロ野球、楽しみだよね。なんといっても中日に立浪和義監督だもんね。落合博満が中日の監督を辞めてから全然、上位に浮上しないもんね。やっぱり落合は選手としても監督としてもすごかったね。
 
さてこの本。落合が監督になる前、バリバリのジャイアンツ時代、1994(平成6)年、41歳のときの著作。この頃から考えが、一貫としてしている。「シンプルな原則と融通無碍な状況判断。自分で納得した原理から出発する男こそが強くなれる。落合納得野球論」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・野球エリートとは対極に位置する野人派にあてはまる。なにしろ、16歳から20歳まで、ほとんど、野球らしい野球をしていないのだから。
 
野球ができる身体になったのは、私の場合、少年時代の遊びが基礎となっている。日々是鍛錬という言葉があるように、木登りにしたところで、腕や足の力をつちかい、腹筋、背筋力をきたえてくれる。日常生活のなかでも、物を持つ、運ぶ、引っ張るというなんでもないことが野球に必要な身体の鍛錬になったのである。
 
・中学卒業の寄せ書きで、私は、将来の夢として「プロ野球選手」と書いている理由は思い出せない。たぶん、その時代の少年たちの夢見る将来像が、プロ野球選手と、パイロットだったのではないだろうか。
 
東芝府中時代の初任給は、3万5千円、退社時は10万8千円、ロッテ入団時の年俸は360万円(契約金2700万円)である。それが、現在では、3億円を超えている。エリートコースに乗れなくても、少々、軌道を踏みはずしても、日々の鍛錬をおこたらなければ、人生は、切り拓けると、確信している。
 
「協調性のない男」「人の声を聞かない男」「使いづらい男」。以上は、私に対する第三者の評価である。これらの言葉は、ネガティブな意味あいで使われているが、どれも正鵠(せいこく)を射ていない。「長い間、いろんな選手とグラウンドのなかで接してきたが、彼ほど使いやすい選手はいないだろう」と評論家の稲尾和久さんはおっしゃているが、この言葉が、私について、一番真実を語っていると思う。
 
私はいつもさめている。グラウンドの内外にかかわらずである。意識としての行動ではないのだが、自然と自分を第三者的な立場においているところがある。
 
私は、人の声にも耳を傾けるほうだと思っている。なにかのはずみで、むかついているときでも、聞く耳は捨てたことがない。ただし、聞く耳をもっていることと、人の声にすべて同意することとは別次元の問題であると考えている。だれの意見であっても、不合理なことや、自分にとって有意義なことではないと判断すれば、聞き捨てにする
 
クセを見抜いたからといって、即、打てるようになるわけではない。クセを活用して、打ちこなすようなバッターは、意外と少ないものなのである。
 
ピッチャーを育てるのはバッター、バッターを育てるのはピッチャー。この言葉は、今日も生きている。
 
審判に文句をいう選手がいるが、これはすこぶる損である審判とは、試合中心理戦をしているのだから、上手に自分の味方にすることを、心がけなければいけない。エースや四番打者は、みんな、審判から好意をもたれていたと思う。
 
エースがほうるときは、絶対に負けてはいけない。これは、野球の鉄則である。エースには、自覚と実績と野手の信頼感が求められる。逆にいうと、これらをかねそなえてこそ、エースと呼ばれるわけだ。
 
ヒットの打ち方の各論に入る。バットをこの角度で振ると打球はこっちの方向へ、この角度で翔んでいくといった理屈を、まず、頭の中にたたき込む。そして、次の段階は、この理屈を自分の身体に覚え込ませなければいけない。このためには、練習量を充分にとらなければならないだろう。この段階では、バットを多く振った者が勝つのである。だから、理屈が頭で理解できたら徹底的にふりこまなければいけない。ほかの選手が千回振ったら、二千回振ってみたらいい。必ず身体が理屈を覚え、表現できるようになるはずだ。
 
勝負の鉄則は、パーフェクトに勝つことである。あきれるほどの点差がついても、打つべき手は打たなければいけない。何点勝っていても、手を緩めてはいけないのである。これでもか、これでもか、とぐうの音も出ないほど、相手をつぶしてしまわなければいけない。完璧にたたきのめされたことを、相手の記憶に植えつけなければいけないのである。勝負を甘く見てはいけない。勝ってはいても、それはゲーム途中のことで、勝ったわけではないのだから、おごった気持ちは禁物である。完璧に勝つことが重要なのである。そのためには、何点勝っていても、走れ、走れである。そのことが、次のゲームにつながるのだ。
 
大敗は、次のゲームに少なからぬ影響を残す。だから、なんとしても負け方は避けなければならない。大敗の原因を気をつけて見ていくと、一点与えるのは惜しんだがため、四、五点取られてしまうといったケースの多いことがわかる。だから「一点やってしまえばいい」というのが、私の考えである。
 
仮に、私が監督になったら、点をやらない野球を目指す。守りで攻撃するチームづくりに取り組むだろう。ひとりで一点取れるようなバッターとは、勝負はさせない、彼をフォアボールで歩かせて、次のバッターでダブルプレーを狙わせる教育を徹底させる、型にはまったバッターさえ見抜ければ、アウトが確実がひとつ取れる。ダブルプレーを取ることもたやすくなるはずだ。守りで攻撃ができるのである。私が監督ならば、こんなチームをつくってみたい。
 
規則正しい食事と睡眠は、特打にまさることを知っていても損はないと思う。
 
さすが!落合。もう一度監督になって欲しいなあ。野球ファン必読、超オススメです。(・∀・)

 

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