「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「男どき女どき」(向田邦子)

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向田邦子さんの全作品読破を目指しているが、先は長いなあ。どうやらこの本はラストメッセージ集らしい。
 
「時の間にも、男時 (おどき)・女時(めどき)とてあるべし(「風姿花伝」)。何事も成功する時を男時(おどき)、めぐり合わせの悪い時を女時(めどき)という――。人は毎日小さな感銘に助けられて生きている。最後の小説とエッセイを所収、人生の〈大切な瞬間〉を綴った作品集」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
 
・石黒は、小さな針がどこかに刺さったような気がした。子供の頃、ゴム羊羹というのがあった。ゴムで包んだ中位のソーセージの格好をした羊羹である。頭のところを針で突つくと、面白いようにブルンとむけて、ツルンとした羊羹が飛び出してくる。石黒にとって、神田の神保堂というひとことは、ゴム羊羹の針であった。
 
・石黒の気持は沈んでいた。人は心に重い荷物を提げると、急いで歩けなくなるらしい。
 
三角波
 
・「三角波か?三角波ってのは、方向の全く違う波が重なり合って出来る波のことだろ。ありゃ危険な波らしいな。三角波にやられると大きな船でも真二つになって沈むそうだ。台風の前に起きるんじゃないかな」まさに台風の前である。三角波が立つと、船は必ず沈むのかしら」「沈むとは限らないさ。やり過してなんとか助かる船もあるんじゃないのか」
 
『嘘つき卵』
 
・見合い結婚である。取り立てて不満はなかったが、燃えたとか疼いたとかというものを味わうことはなかった。みごもるためには、気持もからだもあたたまらなくては駄目だったのか、卵みたいに。
 
自由は、いいものです。ひとりで暮らすのは、すばらしいものです。でも、とても恐ろしい、目に見えない落とし穴がポッカリと口をあけています。それは、行儀の悪さと自堕落です。
 
・今から四十年もまえのことです。テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的的な単語には無縁の時代でした。私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。
 
「野球に限らず、反芻が一番たのしいと思うがね」旅も恋も、そのときもたのしいが、反芻はもっとたのしいである。ところで、草を反芻している牛は、はやり、その草を食べたときのことを思い出しながら口を動かしているものなのだろうか。
 
昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持を伝えるのに石を使った、と聞いたことがある。男は、自分の気持にピッタリの石を探して旅人にことづける。受け取った女は、目を閉じて掌に石を包み込む。尖った石だと、病気か気持がすさんでいるのかと心がふさぎ、丸いすべすべした石だと、息災だな、と安心した。いしぶみというのだそうだが、こんなのが復活して、「あなたを三年待ちました」沢庵石をドカンとほうり込まれても困るけれど(ほんとにそうだと嬉しいが)、いしぶみ」こそ、ラブレターのもとではないかと思う。
 
・動物の雄が配偶者を選ぶ基準は、まず雌として生活力旺盛なこと、次に繁殖力、そして子育てが上手なことだという。人間からみて、あら可愛いわね、などというのは、彼らの目には入ってこないらしい。雄が雌を選ぶ基準は、まず強いこと。おしっこ臭い匂いを発散させ、好色であることだという。まず生きること。そして種を殖やすことが先なのである。人間も昔はこうだったのかも知れない。
 
 
『鮒』『再会』『鉛筆』『若々しい女について』『独りを慎しむ』『ゆでたまご(片足の悪い子)』『草津の犬』『花束』『わたしと職業』『反芻旅行』『故郷もどき』『日本の女』『アンデルセン』『無口な手紙』『甘くはない友情・愛情』『黄色い服』『美醜』など。

 

いいなあ……響くなあ。座右の書になりそうな予感。噛み締めて読みたいなあ。オススメです。(・∀・)

 

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