「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ねじれの国、日本」(堀井憲一郎)

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ねじれの国、日本 (新潮新書)
 

 

全作品読破を狙っている(←最近、コレばっかり(笑))堀井憲一郎。堅いものから柔らかいモノまで、幅広い内容の本があるんだよね。この本も興味深く読みましたよー!♪

 

この国は、その成立から、ずっとねじれている。今さら世界に合わせる必要はない。ねじれたままの日本でいい----。建国の謎、天皇のふしぎ、辺境という国土、神道のルーツなど、この国を"日本"たらしめている「根拠」をよくよく調べてみると、そこには内と外を隔てる決定的な"ねじれ"がある。その奇妙で優れたシステムを読み解き、「日本とは何か」を問い直す。私たちのあるべき姿を考える、真っ向勝負の日本論」
そのエッセンスを紹介しよう。
 
建国記念日の不思議」
 
建国記念日という日がある。今年もあった。来年もあるだろう。2月11日。正しくは建国記念の日。日本が建国された日である。きちんとお休みになる。でも、まったくみんな気にしていない。それにしても不思議な日である。建国記念の日日本語表記らしく、主語がない。本来なら日本国建国記念の日だろう。日本がはずしてある。あまり、強く主張してない感じがする。日本の建国。なんだそれ、とおもわれないように、そっと「日本」の字をはずした感じだ。
 
2月21日は神武天皇橿原宮で即位をした日」である。調べればすぐわかる。もとは口承だったにちがいなく、そのころのヤマトのクニは無文字社会だったはずだから口承しかないはずで、即位した日付については、直後からずっと伝えられているわけではない。神武天皇即位の日は、もし、そういう事実があったとしても、特定しにくい。それは、当時、暦がないからである。
 
2月11日が国民の祝日であり「何かを記念して」みんなが休んでいるのは確かなのだけれど「何を記念しているかはいちいち確認しない」という態度を取っている。休むけれども、なぜ休むのか、その意味は教えない。伝えない。伝承するつもりはない。この国の紀元を子供に説明するつもりが毛頭ない、なにかが大きくねじれている。
 
 
「中国とは東アジア王選手権の会場である」
 
・日本という国号ができたのは、早くて660年代、もっとも遅いとして700年ごろ、ということになる。「“日本国”起動プロジェクト」では、天皇という称号と日本という国号が決められ、律令が準備され、国史の編纂が始まった。“中国ふうの近代国家”がひとつできあがった。一丁あがり。日本。日の本である。日のもと。唐を意識してネーミングしてみました。中国大陸から見て、太陽の出る処っすよ、日の本です。それが国の名前だ。自分からの名乗りではない。国の名前として「場所の説明」をしている。建国記念の日と同じねじれがある。
 
つまり、本当は、そんな名前、つけたくないのである。おれたちはおれたちでヤマトってことでやってますんで、というレベルで生きていたいんだけど、どうも巨大なシステムが構築されたようなのでいままでのようにはいかないんだ、ということで、無理に名前をつけてみたのだ。自分の名前を付けなかった。それはどういう意味だ、と聞かれたときに、はい、これはですね、と答えることを前提として名付けられている。というよりも、聞かれたら答えられるよに、そのためだけに付けられたというものだろう。唐の皇帝に、である。「長安で答えるときのための国名」だから東を指しているのである。
 
天皇家とは何だ」「ガーコンによる近代の超克」「神道は日本のオリジナルなのか」「ねじれたままの日本でいい」など。

 

なーるほど。言われてみればそのとおりだ。ワタシみたいな人、日本人には多いだろうなあ。まさにこれが日本、日本人なのかもね。オススメです。(・∀・)

 

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ねじれの国、日本 (新潮新書)