よくテレビで見かける我が母校、明治大学文学部教授の齋藤孝センセイ。さまざまな切り口で我々の知的好奇心をくすぐるよね〜!♪ この本もそう!
「一行「でも」わかるのではない。一行「だから」わかるのだ。『百年の孤独』『悲しき熱帯』『カラマーゾフの兄弟』『老子』──どんな大作も、神が宿る核心的な「一行」をおさえればぐっと理解は楽になる。魂への響き方が違ってくる。究極の読書案内&知的鍛錬術」そのエッセンスを紹介しよう。
・一行だからわかる。それが私の主張したいことです。ボーリングのセンターピンのように、そこさえきちんと押せば、ピンはおもしろいように倒れていきます。
・私は、これまでさまざまな読書の本を出版してきました。その理由は、読書とは「趣味」ではなく、人間としての「責務」だからです。インターネットですぐにアクセスできる情報はなかなか身につかず、水の表面にあるものをすくって使い、不要になればまた捨てるようなもの。便利ではありますが、それが本当に価値あるものなのかは定かではなく、手軽であるがゆえに、自分の核として身につけることはできません。
・読書は、自己形成のための糧です。読書をすることによって、人生に「深み」を持たせることができる。私自身がそうです。読書をすることによって知識や思考力、自分の中心となる信念を得て活きる力を育み、自分らしい人生を歩むことができるからです。
・名著は、最初から最後まで読み通すのは難しいものです。自分にとってビビッとくる一節が見つかる。名著の文章には強さがあります。「神は細部に宿る」といいますが、名著にはそんなエッセンスが宿っています。
・私の座右の銘のひとつに、「ミッション・パッション・ハイテンション」というものがあります。この三つがそろうと人生は充実する。
・名著に埋め込まれた教えが、情熱の導火線に火を付けてくれることもあります。読書をするときに知性を得るコツは、引用する部分を探しながら読むことです。「このすばらしい一行を誰かに教えてあげられる人物になりたい」そうやってアウトプットを意識して読むことで、文章があなたの脳に定着していきます。そんなフレーズが詰まった名著の数々を紹介していきます。
・読書は、想像力を刺激します。体験の動機になります。
・読書の良さの一つは著者と「対話」できるということです。
「ツァラトゥストラ」(ニーチェ)「「これがー生だったのか」わたしは死に向かって言おう。「よし!それならもう一度」と」
「罪と罰」(ドストエフスキー)「あなたが汚した大地に接吻しなさい」
「月と六ペンス」(モーム)「川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」
「百年の孤独」(G・ガルシア=マルケス)「時間がひと回りして、始めに戻ったような気がするよ」
「失われた時を求めて」(プルースト)「町も庭とともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである」
「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ)「彼女が愛想をつかしたとなったら、すぐにも心臓をえぐり出して、血をすすってやるけどな!」
「源氏物語」(紫式部)「いづれをもなだらかにもてなして、女のいらみな負ひそ」「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)「人生の意味より、人生そのものを愛せ」
「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド)「ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地できたのは地理的偶然と生態的偶然のたまもの」
「論語」(孔子)「学を及ばざるが如くするも、猶おこれを失わんことを恐る」
「五重塔」(幸田露伴)「腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すっきり端然(しゃん)と構へたる風姿(ようだい)」
「パンセ」(パスカル)「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」
「ホモ・ルーデンス」(ホイジンガ)「人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとしては発生し、展開してきたのだ」
「嘔吐」(サルトル)「実存は、眼や鼻や口やいたるところから、私の中に侵入してくる……」
「斜陽」(太宰治)「私、不良が好きなの。それも、札つきの不良が、すきなの」
「漱石書簡集」(夏目漱石)「ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です」
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
「風姿花伝(花伝書)」(世阿弥編)「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」
「フランクリン自伝」(フランクリン)「第一節制 飽くほど食うなかれ。酔うほど飲むなかれ」
「饗宴」(プラトン)「全きものに対する憧憬と追求とはエロスと呼ばれている」
これらの名著を読まずに死ねないっ!(笑)来年は全部読もう!オススメです。(・∀・)♪