「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「タヌキの丸かじり 17」(東海林さだお)

  


タヌキの丸かじり (文春文庫)


いつもながら楽しませていただいいる「脳みその食事」東海林さだお氏の「丸かじりシリーズ」。第17弾はナント!「タヌキ」!!!あんなモン、丸かじりできるのか!?(・o・)!


ハンバーグはお口の中の泥遊び。日本人は干瓢に冷たい。ヌタ好きはクライおじさん。セットメニュー大考察。ポークソテーの無念。もし、プリンが揺れなかったら…ぶどうパン無レーズン地帯の解決法。メンマを溺愛する。君は焼きミカンを知っているか。ハムエッグのお作法、つぶアン×こしアンの国民投票」そのエッセンスを紹介しよう。


「新生姜の香り」


豚肉生姜焼きは、生姜を切らしたからニンニクでいいか、ではすまされない。それだと豚肉生姜焼きではなく豚肉ニンニク焼きになってしまう。生姜がないと豚肉生姜焼きは絶対に食べられないのだ。生姜抜きでなんとかしようといくら工夫をしても絶対に食べられないのだ。それほどの分野でも、生姜は料理自体と固く結びついている。先ほどの天ぷらの天つゆにしろ、馬刺しにしろ、レバ刺しにしろ、なくてもなんとかなるが残念は残念だ。ダジャレで「しょうがない」の語源は、本当に「生姜ない」からきていることは意外に知られていない。(ウソです)


「ハンバーグにまみれる」


人間、二十歳を過ぎたら自分のハンバーグ観を持たなければいけないといわれている。人の人生観はこうです、と言えるように、自分のハンバーグ観はこうです、と言えなければ世間ははんとした大人とは認めてくれないのだ。さあ、どうします?あなたは、わたしのハンバーグ観はこうです、と、いますぐスラスラ言えますか?


「麩のビロビロ」


鍋では麩の場合に限って “ 麩のひととき ” になる。他の具たちと切り離された別のひととき。エート、たとえば、ちょっと大げさにいうと、アメリカンフットボールの試合に熱心に観戦しているときの “チアガールタイム ”のような……。鍋に熱中しているときの “麩タイム ”というか……。このあたりで「麩いきます」というような……。心安らぐというか、憩いのひとときというか、このへんで一息入れるというか……。


その他、ゴハン投入うどん」「1分30円の食事」「英国風午後の紅茶体験」「ヌタ好き」「糾弾、炊きこみゴハン」「カマボコの厚さから」「お歳暮カタログの楽しみ」「干瓢応援団」「芋全員集合」「回転定食誕生す」「セットメニューの騒ぎ」「干し柿の哀れ」「ミカンを焼く」「そばとゴハン合併す」「天津甘栗の逡巡」「メンマ同好会」「だんご3兄妹余話」「プリンのヌメヌメ」「ぶどうとパンのおいしい関係」「ハンバーガーを作ろう」「ビンに入ったヨーグルト」など。


やっぱりだんご3兄弟」じゃなくて「4兄弟」だと思うのはワタシだけだろうか。抱腹絶倒の一冊。超オススメです。(・∀・)



  


タヌキの丸かじり (文春文庫)