またまた東海林さだお氏の本、タイトルがオモシロすぎるっ!!!(・∀・)
「いつでも、どこでも、笑いが必要な方、もしくはそれほどでもない方、とにかくみなさまに薦めたし。“オムライス歴訪の旅十日間ぐらいコース・都内名店三店ぐらいめぐり”、うわさの8センチシークレットブーツをあばくツーハン的快楽の希求、居酒屋料理の英語化実践、下駄文化への熱きアイジョウ、熱海へ行って正しい「温泉旅行道」を究める……。激動の世の中に疲れてしまった大衆諸君にやすらぎを与える唯一の書。このタイトルの意味については、深く考え込まないでください」そのエッセンスを紹介しよう。
【私をスキーにつれてって】
・スキーの道具、及びスキーウェアを借りに行く。更衣室に持っていって体に装着させなければならない。これがひと苦労であった。モモヒキをはき、厚い靴下をはき、上下つなぎの、いやに重いスキーウェアを着込み、ファスナーをしめ、硬くて重いスキー靴に足を突っ込み、全金具をしめ終わったときは汗びっしょり、息さえきれていた。スキー用具用スポーツ、というスポーツをやったような疲れ方であった。
・わたしは大発見をしてしまった。何とスキーはインチキくさいスポーツであることか。これがはたしてスポーツと言えるのだろうか。だって、スキーは斜面がないと成り立たないスポーツなのだ。サッカー、野球、陸上競技だってたいていのスポーツは平らなところでやるものだ。斜面はまさに、非日常なところである。その斜面を、自力で登るのではなく、電力を使って登っていくところがインチキくさい。スキーは電力スポーツだったのだ。
・山菜採りは、魅力に満ちあふれていたのである。山菜採りは現代の冒険である。単なる冒険どころではない。あの、十五世紀に始まる「大航海時代」そのものであった。山菜を摘みつつ山奥に分け入るぼくは、大航海時代のコロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼランそのものであった。未知の大海に突き進む彼らと、まったく同じ心境を味わうことができたのである。
【下駄論】
・下駄がいま滅びようとしている。わたしの愛する下駄。子どもの頃、あんなにも慣れ親しんだ下駄。思い出深い下駄。下駄は、まさに日本の歴史的産物でありながら、下駄に関する論文は一つもない。いまこそ、わたしが下駄論を書かなければならないゆえんである。
・世界中の履物は、挿入とノッケに大別することができる。挿入型とノッケ型である。靴に類するものは挿入型であり、下駄、サンダルに類するものはノッケ型である。日本の生活様式は、履物の着脱をひんぱんに行う。そのため着脱の容易さが優先された。履きやすさよりも、むしろ脱ぎやすさが優先されたのである。わが国の履物の始祖はワラジである。そのあと下駄が継いだ。ワラジ→下駄→靴というのが、わが国の履物の変遷の歴史である。「あなたがこれまで、何を履いて生きてきたか。それを語れば、わたしはあなたの年代を当てることができる」と言ったのは、不肖わたくしである。
その他、「蕎麦の騒ぎ」「山菜の教訓」「犬の哀れ」「小さな幸せ」「正調温泉一泊作法」「わがツーハン生活」「オムライスよ!」「東京港夢のクルージング」など。
「温泉一泊作法」をさっそく実践したくなりましたー!オススメです。(・∀・)