「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「千葉 地名の由来を歩く」(谷川彰英)

 


千葉 地名の由来を歩く (ベスト新書)


ワタシが、社会人になったときの最初の赴任先、そしてはじめての一人暮らしが千葉県市原市。営業社で千葉県中を走っていたということもあり千葉には馴染みと愛着があるのだ。(・∀・)


さて、この本。「日本で6番目、624万人もの人口を抱える意外に知らない千葉の歴史が詳らかに!なぜこれほどまでに、千葉に由来する地名が全国に存在するのか!?千葉は佐賀県・福岡県・徳島県京都府岐阜県福島県など全国に繋がる!?」そのエッセンスを紹介しよう。


津田沼」という地名は、5つの村の内、中核となった「谷津村」の「津」、「久々田村」の「田」、「鷺沼村」の「沼」を合体してできたもので、全国でも有数の合成地名です。


「市川」という地名は南北朝期から見える地名で、かつては「市河」とも書かれていた。「市」はここに置かれた国府に立った市場といわれ、「川」は言うまでもなく現在の「江戸川」を指している。中心はやはり国府台である。かつてここに下総国国府が置かれ、国分寺国分尼寺も置かれた、国分寺は今も残されている。


おそらく浦安市はわが国で戦後最も大きな変貌を遂げた都市である。その4分の3は埋立地である。埋め立てで市域を4倍に増やしたのはこの浦安市だけである。


「柏」という地名は、一般的には「河岸場」に由来する。「河岸」は川や沼などの船運の場所(船着き場)を意味するが、手賀沼河岸場から「柏」になったとの節が一般的である。


四街道の由来は「四つの角」ではなく「四つ角」であったと言うべきである。


「茂原」は「藻原」だった。1000年も昔にさかのぼるとこの辺は藻が生えていた湿地帯だた。今では茂原市は海から10キロ近くも離れているが、数千年前には海に直結していたはずだし、今でも毎年少しずつ太平洋側に隆起を続けている。


「木更津」日本武尊が亡くした弟橘媛を偲んでその場を立ち去らなかったので、その地を「君去らずの里」と呼び、それが転訛して「木更津」という地名になった。


その他、「なぜ船橋市に「習志野」があるのか?」「東京の「稲城市」はもとは「稲毛」だった?」「「流山」は赤城山と相馬市を結ぶ」「成田山新勝寺の真実」など。


千葉って深いなあ……歴史があるなあ……。千葉開府900年。千葉駅も新しくなったことだし、小旅行でも出かけますか!オススメです。(・∀・)



 


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