「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球「背番号」雑学読本 なぜエースナンバーは「18」なのか」

 


プロ野球「背番号」雑学読本 なぜエースナンバーは「18」なのか (文庫ぎんが堂)


やっぱり数字って全世界共通だから、何か意味があるよねー!ありそうだよねー!(・∀・)


「ドラフト取材歴30年、球界の表もウラも知り尽くした著者が教える「通」だけが知る数字の読み方!「伝説の背番号」や、球団別「名物背番号」の系譜、背番号がつくった「球界の伝説」など、「背番号」にまつわるマル秘エピソードが満載。著者は手束仁氏。そのエッセンスを紹介しよう。


【なぜ51は昔から人気があったのか】


イチローでスポットが当たる以前の「51」は大砲型の選手がつけていた。中日→南海(現ソフトバンク)→中日の井上登が1953(昭和28)年〜67年に通算111本塁打近鉄では土井正博が61〜67年につけていた。その後「3」に変わるが、通算465本塁打スラッガーである。最も印象的なのが「月に向かって打て」といわれて本塁打を量産した大杉勝男だが65年に東映に入団して以来「51」を8年間つけた。イチローの1年前に大洋に入団した鈴木尚典もブレイクして97年に首位打者を獲得するまで「51」をつけていた。広島では89年に江藤智が、翌年から2年間は前田智徳がそれぞれ「51」をつけたがその後、チームを代表するスラッガーに成長して背番号も変更した。13年に入団した鈴木誠也も16年にブレイク。阪神では古沢憲司が71年から8年間つけていた。


「「プロ野球通」だけが知る背番号の謎」「伝説の背番号をつくった男たち」「球団別「名物背番号」の系譜」「「永久欠番」をめぐる人生劇場」「背番号がつくった「球界の伝説」」「なぜ3は看板選手がつけるのか」「なぜ1のイメージは曖昧なのか」「なぜ名監督は77を選ぶのか」「なぜ巨人の30はトラブルが多いのか」「なぜ27は名捕手の番号なのか」「工藤公康の47ー左腕投手の象徴」「小笠原道大の2ー二番打者の革命」「1桁番号がなくなったヤンキース」「巨人の17ー2人が完全試合を達成」など。


オモシロイ!実にオモシロイ!野球ファン必読っ!オススメです。(・∀・)


 


プロ野球「背番号」雑学読本 なぜエースナンバーは「18」なのか (文庫ぎんが堂)