「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「往生要集を読む」(中村元)

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往生要集を読む (講談社学術文庫)


この本を読んで初めて知ったんだけど、「地獄」と「極楽」を対立するものとする概念は、インド思想や一般仏教にはなく、日本独自のもの、なんだって。へー!_φ( ̄ー ̄ )メモメモ


その日本人の宗教観の基層ともいえるのその考え方が日本に定着するのには、平安時代中期の僧・源信が著した『往生要集』が元になっているのだ。


「膨大な仏教経典や経文、論書を博捜して極楽往生に関する重要な文章を集成し念仏を勧める『往生要集』が示す浄土思想は、源流のインドの浄土教からどのように発展し、また歪曲されていったのか。斯界の碩学が、インド仏教の原典と『往生要集』に綴られた源信の思想を徹底的に比較検討、独自の視点から日本浄土教の根源と特質に迫った、日本仏教を考えるうえで必読の一冊」そのエッセンスを紹介しよう。



「地獄・極楽」ということをわれわれ日本人はよく口にするのは、恐らく源信の『往生要集』の影響であろう。少なくとも漢文の読めた学僧・知識人のあいだでは、その影響は圧倒的に強かったと思われる。


・インドの諸宗教の説いていた「善因善果、悪因悪果」という因果関係は、現世のことがらに関してはある程度まで真理である。全面的に真理であるということはできないが、ある程度の蓋然性をもって真理であるといえよう。もしもこの因果関係を現世だけに限ることなく、のちの世界にまで延長すれば、悪の結果としての地獄の存在を当然容認せねばならなくなる。ジャータカや因縁譚が民衆のあいだに普及し、信奉されるにつれて、地獄はますます実在性をもって信奉されるに至った。


源信は、人間を、汚ならしいもの、苦しいもの、哀れなものとしてのみとらえている。それは(1)不浄の相、(2)苦の相、(3)無常の相である。これらは、いずれも仏典の中に繰り返し解くところである。


念仏の利益には、大きくわけて7つある。すなわち。1.減罪生善(犯した罪を滅して善を生ずる)2.冥得護持(仏神の加護を知らないうちに得る)3.現身見仏(この身のままで仏をまのあたり見る)4.当来の勝利(来世で受ける勝れた利益)5.弥陀の別益 6.引例勧信(例を引いて念仏の信仰を勧める)7.悪趣の利益(悪道に堕ちた者でも受けられる)である。


ほーっ!念仏ってスゴいんだねえ…南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏!オススメです。(´⊙ω⊙`)


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往生要集を読む (講談社学術文庫)