「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「しながわはじめて物語」(西村敏康)

 


私が愛する京急がある街、品川。大好きな街だ。なぜか北品川駅」は「品川駅」の南側にあるんだよねえ。(笑)まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。

その品川は、実はさまざまな「はじめて」がある街だったのだ!いろんなエピソードがあるんだけど、特におもしろかった話を紹介しましょう。


【まんじゅう製造の祖・林浄因の碑】


品川の来福寺(品川区東大井3−13−1)は、およそ1000年前に開かれた寺で、そのきれいな境内は品川百景のひとつ。本堂脇に、日本に最初にまんじゅうを伝えた林浄因の碑です。その起源は、中国の三国時代人間を殺して頭を神に供え戦の勝利を祈る風習がありました。その悪習を廃し、代わりに小麦粉を練った皮で羊や豚の肉をくるみ、人間の頭をかたどって蒸したのものを捧げました。これが食用にされたものが、まんじゅうの始まりと言われ、漢字の「饅頭」の「頭」の字は、ここからきているものです。


この肉まんじゅうは、我が国にも奈良時代に唐菓子として伝来しましたが、名声を得たのは、14世紀に中国から渡来した林浄因のもたらしたものが最初です。僧侶や茶人にも好まれた、このまんじゅうは、皮は小麦粉ではなく、山芋を蒸して用いました。この製法は現在も生きており、中身は肉ではなく餡で当時の我が国の肉食禁忌の思想に合わせて、林浄因がアレンジしたものと思われます。2種類あり、いわゆる「肉まん」は、肉食禁忌思想の我が国では好まれず、明治時代に中華まんじゅうとして復活。「菜まんじゅう」は長野県の名物「おやき」にその面影を残しています


その他、「沢庵和尚が考案、家光が命名(東海寺)」「品川の芸者の帯を連想した説もある品川巻き」「鉄火巻きと鉄火丼、その由来と誕生の秘話!?」「日本で洋菓子が流行した日(森永洋菓子製造所)」「汗取りベルトから生まれた段ボール(聯合紙器)」「エジソンから遅れること12年、日本に電気が灯った日(東京白熱電灯製造)」「「もの言う紙」として注目されたテープレコーダー(東京通信工業)」「◯◯銀座第一号は戸越銀座だった!」「友人同士三人が共に出資してつくった新薬会社(三共)」「日本で初めて暦を作った人(渋川春海)」「大井の海岸から出発したスチュワーデスの初飛行(東京航空輸送)」「便利なエレベーターのはじまり(オーチスエレベーター)」「コピー用紙のはじまりだった感光紙(理化学興業)」「オフィスを変えた高速ファクシミリ(リコー)」「最初は全然売れなかったバレンタインチョコ(メリーチョコレート)」「世界中で認められた寺岡のはかり」「福沢諭吉 永眠の碑」「製薬業界の先駆者・星一など。


品川で「はじめてめぐり」したい〜〜!オススメです〜!(・∀・)