「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「高倉健 Ken Takakura 1956-2014」

大学進学を考え始めたとき、どこの大学に行ったらいいのか全くわからなかったとき、2歳上の兄の影響を受けて、兄と同じ学部、学科に進んだ。それが明治大学だった。入学したら、その「独立自治」「個を強くする」「前へ!」の校風がとても私に合っていた。


さて、明治大学の大大大先輩でもある日本のトップ俳優・高倉健さん。男が惚れる男。健さんはいかに逝ったのか――。

健さんの最期の闘病生活、各界の著名人が生前の思い出を語る健さんと私」、「文藝春秋」に掲載された「最期の手記」も収められ
唯一、高倉プロモーションの全面バックアップを受けた高倉健追悼本」の決定版。そのエッセンスを紹介しよう。


健さんは大の帽子好きだったという。普段、車で出かけるときも、ロケ先でも、キャップなどをかぶることが多かった。共演者やスタッフによくプレゼントしていた。鉄道員に出演した広末涼子もその一人だ。帽子に限らず、新品は好きではなかった。少なくとも1年は寝かせ「時代が変わってから」身につけるのが健さん流だった



高倉にとって“死”はタブーではありませんでした。むしろ、命の燃やし方、持ち時間を意識する上で大切な要素であったように思います


健さんは自分の胸のうちでスパークするものを大切にした方です。企画や脚本を評価する場合も、胸のうちで火花を散らすものがなければ納得できなかったでしょう。


高倉さんが酒を飲まないことは知っていたが、自分にもグラスを用意してくれという。そして、グラスにワインがつがれると、乾杯の音頭を取ってくれただけでなく、グラスにほんの少しだけ口をつけてくれた。あとで訊くと自分がそうしないと、他の人が飲みにくいだろうからというのだった。


やっぱりこの仕事やってきて良かったと思えることが、そういうことではなくて、鳥肌が立つような感動をした時ですね。あぁ良かったなって、自分で。



・(最新作がまもなく公開されます。今の心境は?)ちょっとさみしいですかね、はい。不思議なのですが。ちょっとさみしいですよね、それで非常に機嫌が悪くなるんです。毎作品そうなのですが、宿命なんでしょうが、何ヶ月か集まったスタッフがみんなバラバラになりますよね、そのことだと思うんです。


・(映画スターとして活躍を続けて来られたエネルギーは?)自分でもよくわからんですけども、やっぱり誰かを好きになるということが一番強いと思いますね。相手の女優さんとか、そんなことだけではなくて、役者にかぎらず「この人に叩かれるのは辛い」と思う人に出会うこと。そのことがきっと、自分の怠け心に鞭を入れるのかなと思いますね。だから、嫌いなスタッフと仕事はできないと思います。やっぱり、好きなスタッフと仕事をしたいなあと思いますね。それが一番幸せなんだと思います。でも、なかなかそれは難しいですよね。いつも好きなスタッフとだけ組むというのは。


特に、「3年かかった八甲田山の撮影秘話」は想像を絶するなあ、スゴイなあ…。健さんの映画、観たくなりました。オススメです。(・o・)