映画のワンシーンで印象的なのはなんといっても、明治大学の大先輩の高倉健さんの「遥かなる山の呼び声」のラスト。電車で倍賞千恵子とハナ肇との会話。今でもあのシーンを見ると涙が出る……。(T_T)
さてこの本。健さんが〝最後に愛した女性〟小田貴月(たか)さんによる初の手記。海外のホテルを紹介するフリーライターだった貴月さんは、香港で偶然、健さんと出逢う。貴月さんは帰国後、健さんの〝伴奏者〟としての道を選び、それは健さんを看取るまで続きました。〝孤高の映画俳優〟というイメージを崩さないため、外で会うことは一度もなし。彼女は健さんのために家で毎日食事をつくり、ロケの支度をするなど身の回りの世話を焼き、そしてたくさんの会話を重ねた。本書では、貴月さんに直接語った〝言葉〟により、健さんの真の姿を浮き彫りにする。そのエッセンスを紹介しよう。
・高倉は、形に縛られるのは嫌いで、自分の心に正直にいたい人。
肩書で人を見ることを良しとせず、 心のまなざしを大切にしていました。
天真爛漫で、ガラスの心をあわせもつ天邪鬼な少年。
寡黙で饒舌…。
「ありがとう」の代わりは、はにかんだ表情の「バ・カ・ヤ・ロ・ ー」
人が喜ぶ姿を見るのが大好き。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
一切において「早いのが嬉しいよ!」が口癖。
人見知りで好奇心旺盛、抜群の記憶力と集中力の持ち主で、 自分にないもを吸収しようとする努力を、 生涯惜しみませんでした。
私の心にも今も刻まれる言葉を振り返りながら、 触れることが叶わなくなって実像を、綴りました。人生を愛( いつく)しんだその想いを、お伝えできれが幸いです。
・「僕は仕事以外では目立たずに過ごすのが好きなんです」
・「俳優は、家にいちゃ仕事にならない。 いつだって旅の支度を万全にして、 外に出てかなきゃ仕事にならないんだよ。だから、戦い(仕事) から戻ったとき、自分を解放できる場所が家なんだ。 僕にとっての贅沢さは、何よりも居心地の良さ。 広さとか調度品じゃない。まず、 外からの視線を完全に避けられて、 日向ぼっこができる庭と暖炉があること。 待っててくれる人がいること。 HOUSEをHOMEMADEにするのが、人の「気」なんだよ」
・「朝は、自分で珈琲を淹れる。スポーツジムに行って、 フルーツをジュースにしてもらって飲んだり、 腹が減って我慢できなければ、カロリーメイトをつまむ。あとは、 プロテインとサプリメント。食事らしいのは、夕食だけ。 中華は好き。他には、ステーキ食べに行くことが多いかな。 ジムで猛烈に鍛えてるときは、肉だけで300g以上。 夕食で一日分のカロリー摂ってたね」
・高倉の外出時の確認事項は「車の鍵」「携帯電話」そして「 今日の晩御飯は何?」でした。「まだ、はっきり決めてませんが、 お肉は必ず」と答えると、「嬉しいね、肉。 はやくメニュー決めてね」高倉の頬が緩みました。
・「さあ、今朝も測るぞ」体重、体脂肪、そして血圧。 高倉の自己管理は、毎朝、 定時に基本の3つの数値を測ることから始まりました。 カレンダーに書き入れた記録を、 ひと月ごとに折れ線グラフにして、 大きな変化があればすぐ分かるようにしていました。 朝食前30分ほどかけて、身体をほぐしました。
・「ぼくは、手は自分の履歴書だと思っていますよ。 この手のしみ。ぼくはこの手で仕事をしてきたんですよ。 八甲田も網走も、アフリカも南極も北極も、この手が一緒でした。 ぼくら俳優の仕事は、全くの肉体労働ですよ。 しかもぼくのやった200本のうち、80%ははアウトローです。 前科者、殺人者……。僕はね、 この身体を軋ませて仕事をしてきた。 これからだってそうなんだよ。あと、何本できるかな。だめだよ、 ボーッとしてちゃ。たのむよ…。
・高倉は好奇心旺盛で、出来る限り書店にも足を運び、 雑誌を大人買いし、 一度に20冊以上ということも珍しくありませんでした。車、 ヨット、狩猟、アウトドアグッズなどのほか、建築やインテリア・ デザインにも関心が高く、海外の定期購読誌も数多くありました。 興味ある記事には赤い線を引き、 私がそれをジャンルごとにスクラップしていました。
・「おいしい仕事を探すのではなく、大変そうな仕事を喜んでやる いい結果を出す 僕もそんな俳優を目指します」
・『鉄道員(ぽっぽや)』受賞スピーチ。「生きるために…… 俳優になって……あっという間に40数年やって、 心が冷えてかたくなになっていたのが和みました。すみません、 興奮して……何度いただいてもうれしいです。 またいただけるように一生懸命がんばりたいと思います」
・私の知る高倉は、撮影のない日々を、 四季の移ろいを愛でながら自然とふれあい、 穏やかに暮らす人でした。