子どもの頃、夢中になって観たウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラマンセブン。夢中になったという表現では言い足りないくらいだったね。我々世代は、みんな大好きだったもんね。(^^)
「ウルトラQ」から「帰ってきたウルトラマン」まで「ウルトラマン」シリーズは、こうつくられた!出演者と制作スタッフ、関係者が語る真実◎語りおろし/黒部進、毒蝮三太夫、榊原るみ、きくち英一 ◎出演者のインタビュー・対談/桜井浩子、古谷敏、森次晃嗣、ひし美ゆり子、団時朗、西田健 ◎制作者インタビュー/飯島敏宏、上原正三、熊谷健、佐川和夫、藤川桂介、宍倉徳子、中野稔ほか」そのエッセンスを紹介しよう。
【黒部進 内容に魂が込められて】
僕がなぜ“俳優の道を進んだのか” という確たる答えはないのですが、高校時代から“演劇” に興味はもっていました。その後、大学(中央大学経済学部) に進学し3年生になったとき演劇関係者の方と出会いまして「 やはり俳優になりたいな」と考えるようになり、 映画界に進むことを決意したんです。その後「表現座」 という劇団に所属して演劇活動を開始し同時に、 渋谷で靴磨きのアルバイトをしていました。
そんなある日僕の前にお立ちになったお客さんに「 君は何をしてる人なのかね!?」と聞かれたんですよ。僕が、 俳優になるためアルバイトをしながら小さな劇団で活動しているん です!と答えると、お客さんは「今度、 東宝でニューフェイスの募集があるからそれを受けてみなさい」 とおっしゃったのです。 その方が映画監督の山本嘉次郎先生だったんです。 それで東宝に入ることになったんです。
いままで鞍馬天狗やスーパーマン的な等身大ヒーローはいたのです が、巨大ヒーローはウルトラマンが(ほとんど)初めてでしょう? 正直“ピン”ときませんでしたね。でも、 今になって振り返ってみると“なかなか良くできた作品だったな! ”という思いは強いですね。
「当時は、たくさんのファンが黒部さんのまわりに集まってきて、 大変だったでしょう?」と言われるのですが、 そんな記憶はないですよ。あの頃の子供たちは“純粋” だったから、俳優に“近寄りがたい” という印象を抱いていたのかもしれませんしね。 今になってからの方が「ハヤタ隊員役の黒部さんですね! ファンなんです」と声を掛けられることが多くなりました。
今になって僕が残念に思っていることは、当時金城(哲夫) さんを始めとする脚本家の方や飯島さんや円谷一さんといった演出 の方と仕事以外の会話をほとんどしていなかったんですよ。 これは単に僕が人と話すことが苦手だっただけです。 もう少し人なつっこくしていれば良かったと思いますが、 若気の至りですね。
あの1年間は毎日が忙しくて、プライベートな時間も少なかった。 時間と制作予算がきつきつだったらしく、ロケ弁当の酷かった。 白米に梅干しとたくあん、揚げた竹輪が入っているだけのもので、 美味しくはなかったです(笑)。 キャストやスタッフもみんな若かったし、 当時はあれが普通だと思っていました。
・ウルトラマンのスーツアクターだった古谷は、大変だったよ。 1カットが終わってスーツを脱ぐとものすごい汗が出て、 体重が1キロくらい落ちちゃうんだよ。 そんな苦労をして古谷ががんばってきたから、 ウルトラマンも人気者になったと思う。 彼は顔もスタイルもいいから、スタッフに「 古谷の顔出しが出来る仕事を与えてやってくれ!」 とずっと言ってたよ。古谷が『ウルトラセブン』 のアマギ隊員として出演することが決まった時は、 自分のことのように嬉しかったよ。
懐かしいなあ。いいなあ。手品のタネ明かしみたいで爽快感がある。ウルトラシリーズ、もう一度観てみよう。オススメです。(^^)