「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「いいかげん」のすすめ(ひろさちや)

仏教をわかりやすく私たちに伝えてくれるひろさちや氏。
「いいかげん」ではなく「良い加減」なのだ。そんなエピソードが満載!その中でも特に心に響いた二つを紹介しよう。



・仏教では、凡夫の知恵と「ほとけの智慧」を区別する。そして「ほとけの智慧「般若」と呼ぶ。          


知人の住職に、いわゆる「知恵遅れ」の子を持つ親がいる。「世間の人は、この子を「知恵遅れ」と呼ぶが、この子の智慧は遅れていない。ほとけさまの智慧を持った子である。わたしはこの子から、仏教の、ほとけさまの智慧を教わった」彼はそう言う。


その子は、三人きょうだいの真ん中である。その子は、お兄ちゃんや妹が外へ行っているあいだは、おやつを食べようとしない。二人が帰ってくるまで待っているのだ。


あるとき、三人に二つしかケーキがなかった。母親は真ん中の子に一つあげて、兄と妹には半分ずつを与えた。だが、その子はケーキを食べようとしなかった。はっと気づいた母親は、その子のケーキを半分にして、自分も半分を食べた。するとその子は、喜んで食べはじめたという。


「普通の子の知恵は、“ぼくのケーキは小さい” “損をした”といった計算の知恵である。しかしこの子は、お兄ちゃんや妹が半分しか食べられないとき、自分は一個を食べられない、そういう智慧を持っている。ほとけさまは、住職である自分にほとけさまの智慧を教えるために、この子を授けてくださったのだ」彼はそう言う。そして、この子のことを「知恵遅れ」ではなく「知識遅れ」と呼んでほしいと主張している。


・インドでの旅。通りがかりのインド人が「おまえのボールペンを一本よこせ」と言う。「なぜおあえにやらねばならぬのか!?」と問い返すと、「おまえは二 本も持っているではないか…。一本は、おれが使ってやる」。憤然として「ノー」と言うと、「おまえはケチだ」と蔑みの眼でわたしを眺めるのである。


インド人もアラブ人も同じ考え方をする。つまり富める者は貧しい者に施しをする義務を負っている。そして、貧しい者は富める者から施しをうける権利を持っている、という考え方である。施しは、富める者にとっての義務であり、貧しき者にとっては権利なのだ。


ボールペンを二本もさしているわたしが悪いのである。二本も持っていれば、一本は「無用の長物」(仏教では「じょうもつ」と読む)だから施すべきである。わたしたちは長物を持てば持つほどケチになりそうだ。インドに行くたびに、インド人から叱られているような気がする。


…その他、「あきらめのすすめ」「希望を持つな」「いいかげんのすすめ」「ご縁を大切に」など。心が軽くなるよね。オススメです。(・∀・)