- 作者: 岩永文夫
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2009/03/01
- メディア: 新書
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この本は、フーゾクというある意味マイナスな視点でしか見られかねない一つのジャンルの歴史と進化を書き下ろした貴重なもの。始めて知ったのだが、日本のフーゾクのスタートは戦後の国策によるものだったのだ!?という衝撃的な事実!だ。(@_@;)その要点を紹介しよう。
・ニッポンが太平洋戦争に負けてまだ間もない1945年、焼野原と化した首都東京に、「RAA(レクリエイション・アミューズメント・アソシエイション)」という一つの組織が、時の政府の強力な肝煎りで誕生することになった。日本名を「特殊慰安施設協会」という。簡単に言うと、国策売春のための施設を運営管理する組織である。政府が敗戦直後の社会のために、まず考えたことが進駐軍の性的欲望を満足させることであり、大和撫子たちが米兵に犯されないように、政府が音頭をとり、警視庁が業者たちに依頼して「性の防波堤」を作ることであった。新聞広告として「新日本の女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。宿舎。被服、食料全部当方支給」という見出し。
具体的な仕事の内容については一切触れていないが、要は、お国による売春婦の求人広告だったのだ。
・街娼になる女性は家族の中の長女がかなりの比率を占めていたのだ。敗戦直後のことで、男性に戦死者が多く、人口構成からみても女性の方が男性よりも420万人も多いという時代である。家族共同体のきずなが未だ強力なこの時代においては、家庭の経済的負担を長女が負わざるをえなかったというのだ。
・混乱と虚脱、ヤミ市と復興、進駐軍とパンパン。これらがないまぜになっての狂騒曲が鳴り響く敗戦後のニッポン。そこで1946年公娼制度の廃止である。表向きの理由は性病の蔓延とはなっていた。それまで我が国には世界にも例をみない公許の売春制度があり、公許の売春婦がいたのだ。それによって約4000人のRAA慰安婦が職を失ったのである。国策売春の結末は、数千人の娼婦を作り出し、あげくに彼女たちを一斉に街に放り出すことで終わった。
・その後GHQも警察当局も彼女たちを一定の地域に囲い込むべく、枠を設定することにした。元遊郭だった「特殊喫茶」地区を、あらためて地図の上に赤い線をもって囲い込んで他との区分けをすることにした。そして内務省が地方の警察長官に向けて、風俗取締対策についての赤線指定の通達を指示した。これがいわゆる「赤線」の発端である。この時から、1958年売春防止法が施行されるまでの約10年間が、ニッポンのフーゾクビジネスの揺籃期にあたる。それからのフーゾクの進化の一切の祖型が、この10年間ほどのうちに形作られたのである。
・その後、1985年新風営法の施行、99年新風営法の改正、さらなる改正が06年と二度にわたって行われてきた。その目的は、過激な方向へいつも向かうであろう風俗産業を公序良俗の世界に差し戻すためである。しかし必ずといえるほどに、これらの取締法や規正法が実施される前後に新しいタイプの風俗商売やフーゾクビジネスが出現するのである。まるで新たに細胞分裂がおこなわれるかのように。モグラ叩きゲームのように。
この中身が新書になっているのもスゴイなあ。パンパン、赤線からソープ、ピンサロ、ノーパン喫茶、ファッションヘルス、ホテトル・マントル、出会い系サイト…。法の規制をくぐりぬけて、業界は生き物のように進化し続けている!ダーウィンの進化論にも匹敵する(?)フーゾク進化論!お世辞抜きで面白い!(^^♪