- 作者: 長田渚左
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/12
- メディア: 単行本
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スポーツはいつも我々の心をゆさぶる感動を与えてくれるよね。さてこの本はそのアスリートたちの絶望と栄光のドラマを取り上げた本。読むだけで勇気づけられること間違いない!感動のノンフィクション。その中でも、私が大好きだった村田兆治投手のドラマをエッセンスで紹介しよう。
・1968年ドラフト一位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団した村田兆治。一年目は3試合登板、0勝1敗。その頃のフォームは、ごく普通のオーバースローだった。しかし「村田は球は速いが、上体が突っ込むから長いイニングはもたない」と言われていた。
彼は、軸足の右足に重心を残して身体を支えることにはどうしたらいいか?「壁に右手をつき、体を支えて、左足だけを上げる。1日1000回、3時間。汗だくになって左足だけを上げ続けた。来る日も来る日も左足を上げた」やがて、どんなに左足を上げても右足は微動だにしなくなった。そこで、その頑丈な右足を、「くの字」に折りたたみ、下半身に「タメ」を作ると、右肩を深く落として球を投げる独特のフォームの原型を彼はつかんだ。
・当時のロッテはフォークボールを決め球にしている先輩はいなかったので、村田はこの球種をマスターしたいと考えた。当時阪急ブレーブスにパ・リーグ随一と言われる米田哲也がいた。当時はビデオがない。徹底した観察がすべてだった。人差し指と中指をV字にして投げる。その2本の指を鍛えぬかなくてはと気づく。日常動作のあらゆるところをカニにハサミのように2本指だけでやることにした。家のドアの取っ手を回す、車のハンドル操作も2本にして、水を飲むコップも2本で挟むようにした。
「負荷をかけたほうがいいと思い、直径4センチの鉄の球を特注して、2本の指だけで持ち、常に上下動かしてました」やがてビールやジュースはもちろんのこと、酒の一升ビンまでも軽々と2本の指で持ち上げられるようになった。さらにテニスボールを挟みつけて、パンと割るようにもなった。
・2年目に6勝、3年目に5勝、4年目には12勝を挙げた。そして6年目。村田の力強い投球は、童話の金太郎がかついだマサカリのイメージに畏敬の念を込めて、「マサカリ投法」と呼ばれるようになった。ところが、82年、肘が砕けたと思うほどの激痛に襲われた。当時、「肘に一度メスを入れた投手は再起できない」というジンクスがあった。そんな中、最愛の父の病状が急変した。「兆治…おまえに、この腕をやりたい」享年78、それが父の最期だった。そして818日振りの一軍公式戦まで壮絶なリハビリが続く………あとは読んでね。(^^♪
その他、高橋大輔(フィギュアスケート選手)、池谷幸雄(体操選手)、佐藤真海(義足の陸上選手)、浜田剛史(プロボクサー)、中野浩一(競輪選手)、安直樹(車いすバスケットボール選手)、青木功(プロゴルファー)…いずれもいいよお!(^u^)