「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「体癖」(野口晴哉)

ワタシの尊敬する師匠が、ムカシ、参考にしたのがこの本。ようやく読むことができました。野口式整体の創始者野口晴哉(はるちか)氏。
 
この本の発行は1971年だからもう55年も前だね。スゴイなあ。深いなあ。真実をついているなあ。そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
人間の体は丈夫になっただろうか、原始この方進歩したのだろうかということである。積み重ねた知識の凝集によって作り上げた機械や器具を使えば、象の持ち上げられない重いものでも持ち上げることができる。虎の咬みくだけないものでもくだくことができる。しかしその機械、器具を使わなかったら、人間は昔の人より力を発揮できるだろうか。望遠鏡を捨てても肉体そのものの眼で昔の人より遠くが見えるだろうか。遠くの音が聴こえるだろうか。歯は昔の人より固いものが噛めるであろうか。腕の力は、脚の力は、胃袋の力は、と考えていくと、人間の体は果たして丈夫になっただろうか。傷ついたり病んだ時の恢復力はどうだろう。
 
ある人は言う。近代医学の進歩は目覚ましく、体の解剖的構造はもとより生理機構も心理機構も明らかになり、レントゲン診断を始めいろいろの薬物、外科手術あり、加うるに科学の粋をつくした衛生設備、治療設備あり、また諸々の研究を重ねた書物あり知識あり、殺菌も消毒も完璧に行ない得る。それ故、 当然恢復の力は充実し、歯や腕力のことはともかく、人間の体はこの面では進歩したはずだと。しかし、それは体が進歩したとか丈夫になったとかいうこととは違うことである。体を守るための方法、庇う方法、また体の力を補う方法が進歩したというだけである。譬えて言えば鎧が厚くなり、刀が長くなったというだけのことであって、その重くなった鎧のために中身の人間の動作が不自由になり、長くなった刀に振り回されるようになったとしたら、体としての進歩だろうか。却って裸で行動する軽快さがなくなったともいえよう。
 
 
レントゲンを使ったために白血病が生じ、その薬物の故に耳が聞こえなくなり、その技術の故に臓器や手足を失ったりしている人は少なくない。街の角々には病院が立ち並び、しかも入院患者は一杯である。街を歩く人は無気力でその脚は重い。消化薬、睡眠薬栄養剤等々、次から次へと新薬、新療法が紹介されるのは何故か。理由は多くの人がそれを必要としているからだ。何故必要とするのか。その如く体が無気力になって、何ものかに依りかからないと不安なのである。新しい宗教や健康術があふれるのもまたそのためともいえよう。医学が進歩し医術が普及したというのに、これは何としたことだろう。
 
健康に至るにはどうしたらよいか。簡単である。全力を出しきって行動し、ぐっすり眠ることである。自発的に動かねば全力は出しきれない。人間というものは妙なもので、夜行の混んだ汽車で徹夜しても、スキーをするためなら疲れない。お役目で出かけるのだったら乗っただけで疲れてしまう。上野の山の石段では疲れるのに穂高の山頂では快い。勝手であるが、人間はそういう構造をしているのである、力一ぱい全身で行動すると快いのに、中途半端な動きで力を余すと、その力が後悔とか不満とか不安とかに化ける。体を丈夫にするために食物を言い、住居を言い、衣服を言う人もあるが、何よりまず動くことである。自分で動くことである。他人をいろいろと動かして自分が丈夫になるつもりの人もいるが、自分の糞は自分で気張らなければ出ない。誰かに代理に食べてもらっても胃袋がふくれるのは自分ではない。坐って他人を動かしても、脚の太くなるのはその動かされている人で、自分の脚ではない。このことは原始以来変わらぬことであり、時代がどう変わっても自分から動かなくては健康にはなれない。
 
潑刺と動いた者にのみ深い眠りがある体を丈夫にすることはやはり自然の構造に従って生活するより他に道はない。
 
そーそー!そのとおり。今日もハツラツと動こう。全力で生きよう!!!オススメです。(=^・^=)