「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「家で死のう!緩和ケア医による「死に方」の教科書」(緩和ケア医 萬田緑平)

父が自宅で亡くなって20年。父方の祖母も、母方の祖母も小田原の自宅で亡くなった。義姉も真鶴の自宅で亡くなった。あれっ!?小野塚家って、みんな自宅で亡くなってるわー!♪ ワタシが生まれたのも、新潟の自宅だったし。そうかあ!あまり病院に縁がないんだなー!(笑)(=^・^=)

 

眠るように穏やかに死ぬための本――なぜ病院で死ぬことは苦しいのか?」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・すでに死が近い終末期にもかかわらず、点滴などのチューブをつけている人や、酸素マスクを使っている人はごくわずかです。それどころか、食べたいものを食べたいときに食べ、家族との思い出話に花を咲かせ、テレビ番組に笑い声をあげたかと思えば、愛煙家はタバコまで嗜み、大好きな日本酒を寝酒に飲んでいる人もいます
 
・つらく悲しい死の現場に何度も接するにつれ、医療は終末期の患者さんに何ができるのかと考え、自問自答を重ねました。「緩和ケア」という言葉がないころから、つらくない終末期を考えながら外科医をしていたのです。そして、外科医を1年で終わりにして、病院の終末ケアではなく、在宅緩和ケア」という、誰もやっていない新しい分野を開拓する決断をしました。
 
・私は14年前から「在宅緩和ケア」を自らの専門とし、これまで2000人ほどの患者さんを自宅で看取ってきました。その経験から、自宅できちんと看取ってあげれば、死は決してつらいものではないことを確信したのです。
 
・私の在宅緩和ケアの現場では、病院で治療をやめたり、あるいははじめから治療を拒否した患者さんが、専門の医師や看護師やケアマネジャーなどの在宅スタッフたちの支援を受けながら、自宅で穏やかに暮らしています。
 
・私は病院医療と在宅緩和ケアの両方を見てきた立場として、こう断言します。「終末期の患者さんは、病院での延命治療をやめて、自宅に戻ってすごしたほうが人間らしく生きられる」と。病院の医師は、人間の死がこんなにも穏やかなものだとは知りません。病院が当たり前に行なっている治療をやめて、上手に支援すれば、多くの人が苦痛から解放されて、最期のときまで穏やかに生き抜くことができるのです。
 
・人は誰もが死にます。だんだん元気がなくなり、だんだん食事がとれなくなり、だんだん歩けなくなり、寝ている時間が長くなります。そのうち水も飲まなくなり、トイレにも行かなくなります。そして、深い眠りに入って意識がなくなると、ついには呼吸が弱くなり、とうとう呼吸が止まります。それと同時に、心臓が止まる。これが、人が死ぬということです。
 
なぜ、病院で死ぬのは苦しいのか?死そのものは本来、苦しいものではありません。しかし、病院で治療を続けると、体力の限界まで「生きさせられる」から苦しいのです。延命治療を続けると、患者さんの苦しみや痛みは二の次になってしまいます。 死ぬよりは、どんな状態であれ生きていたほうがいい。そう考えるのが医療です。そう考えられる人や家族が治療をやめて在宅緩和ケアを選びます。
 
「病院で治療をやめる」ということは、「死を認める」ということかもしれません。「死を認める」ことができるかは、当事者になってみなければわからないことでしょう。私も、いざ患者の立場になったとき、どう感じるのかはわかりません。
 
・在宅緩和ケアを選択し、穏やかに亡くなっていった人はみなさん、ある程度死を認めていた」ように思えます。
 
たとえば、薄毛になる、白髪になるのは病気でしょうか? 違います。老化です。老眼や白内障になることも、歯が抜けることも、耳が聞こえなくなることも、骨折しやすくなることも、おしっこが近くなることも、食事量が減ることも、あちこちが痛くなることも、記憶力が弱くなることも、病気でしょうか? いいえ、違います。病気が空を飛んできて、あなたの中に入ったのではなく、あなた自身が老化してきたのです。単にポンコツになっただけなのです。
 
・これらと同じで、心臓の老化が進めば心臓病と言われ、血管の老化が進めば脳梗塞心筋梗塞と診断され、肺や免疫機能の老化が進めば肺炎という病名をもらい、特定の臓器の老化が進みその部位の細胞が増殖しすぎればがんと診断されます。腎臓の老化が進めば腎臓病肝臓の老化が進めば肝臓病だと言われるということなのです。
 
老化のスピードは人それぞれ、臓器それぞれです50歳で歯がない人がいれば、100 歳になっても自前の歯で食事ができる人もいます。若くして薄毛になる人もいれば、死ぬ間際までフサフサの人もいます。人によって、老化のスピードが速い臓器と遅い臓器があるわけです。臓器にはそれぞれ、個々人で異なる「臓器寿命」があると考えればいいでしょう。
 
顔や性格が違うのと同じで、臓器(脳、内臓、髪、目、皮膚、筋肉、骨、血管、脂肪、 免疫システム、生殖機能など)の寿命が異なるのです。Aさんの脳は100歳、肺は90歳、 目は60歳、肝臓は50歳、心臓は110歳までの寿命があり、Bさんの脳は60歳、肺は70歳、 目は50歳、肝臓は100歳、心臓は100歳まで、といった寸法です。それは、生まれたときから遺伝的に決まっています。そして、その老化が表面化したとき、病気といわれるのです。
 
若くして病気になってしまう人は、その臓器の寿命が著しく短かったといえます。そのような場合につけられる病名が「難病」といわれるものです。一方、100歳をすぎればすべての臓器が老化して、診断すればさまざまな病名をつけることができるでしょう。しかし、それはもはや「病気」ではなく、ただの「老化」として放置されることがほとんどです。
 
・つまり、「病気」というのは、ふつうの人よりも、ある臓器や体のシステムが早くに老化した場合につけられる名前といえます。脳の老化の最終形態が「認知症です。野生の動物には認知症がありません。その理由は、認知症になる前に死んでしまうからです。
 
・人間は医療の進化のおかげで認知症になるまで(脳が限界を超えても)生きられるようになりました。医療側にとっては、最高の成果を上げている状態です。そして、次なる医療の「もぐら叩き」のターゲットは、認知症になるわけです。
 
人間はいったい、どこに向かおうとしているのでしょうか。最近は、延命治療を受けたペットにも認知症が多くなっています。ペットの認知症は、ないかり一方、肺の臓器年齢が110年ある人は、ヘビースモーカーでもなかなか肺気重こでと名前が変えられました。 肺が老化すると、肺気腫という病名がつけられます。最近は、慢性閉塞性肺疾患と呼ばれます。
 
これなどは、「病気はただの老化」であることをそのまま表現しているもので、病気にかかったのではなく、「あなたの肺は老化しています」と診断されただけです。診断されたからといって、治るわけではありません。肺気腫になると、最終的には酸素ボンベを担いで生きることになり、長くもって余命は5年といったところです。
 
喫煙習慣がある人は、10~30年くらい肺の臓器寿命が短くなるといわれています。つまり、もともと肺の臓器寿命が70年くらいしかない人が喫煙をしていると、50歳とか 40歳で肺気腫になる可能性があります。100歳の人が人間ドックに行ったら、それこそ、そこら中が病気だらけです。だから、病気と診断されても一喜一憂する必要はないですよと言いたいわけですが、 腎臓の治療に関しては、私も医学の進歩に目をみはっています。
 
・腎臓が機能しなくなると、人は死にます。しかし現在、人工透析を受ければ、腎臓がなくても生きていけるようになっています。人工透析とは、血液を透析機に入れてきれいにして、体に戻す治療です。週3回、半日かけて行ないます。私が医師になった30年前は 、 透析の患者さんは、腎臓がある人にくらべて、寿命はかなり短くなるのが一般的でした。 しかし現在は、寿命は極端に違わなくなっています。
 
・若いころから発症する病気について、「それは老化です」といわれたら、気分が悪くなる人もいるでしょう。言葉の定義の問題になりますが、若くして病気になるということは、 なんらかの理由で、その臓器や体のシステムの老化の速度が速かったということです。そのような病気は「難病」と呼ばれます。
 
・比較的若い時期に発症する難病として「リウマチ」があります。リウマチは関節が炎症を起こすことで起きます。なぜ炎症が起きるかというと、自分の体を守る仕組みである 「免疫システム」が異常をきたすからです。なぜ、免疫システムが異常をきたすのかは、本当の意味で医学では解明されていません。だから、リウマチを「治す」ことはできないのです。
 
認知症は恐ろしい病気ではなく、医療によって「作られた状態」だと思います。現代医療は、体の病気を治して治して(老化をごまかしてごまかして)、とうとう治せない認知症という状態」まで生きられるように成果を上げてきたのです。医療の発展としては大成功ですが、さらに進化を続けて、全員が認知症になるまで生きることを目標としているのでしょうか。もういいだろう、と思います。脳が限界になるまで生きられる時代がきたのですから。これ以上、医療が発展しても、その人の幸せにはつながらないのではないでしょうか。
 
・死者を出してはいけない、高齢者でも死んだらダメ、死なさない可能性があるなら1% の確率にかけて治療すべき・・・・・・本人が望む望まぬにかからわらず、生かすことが正義になっている現代医療は、「延命至上主義」といわざるをえません。
 
外科医時代、手術が必要になると、私は患者さんの肺機能、腎機能、心機能、肝機能などをしらみ潰しに調べて、手術に耐えられる体かを判定していました。今から考えると、なんと愚かなことをしていたのだろうと反省しています。もっとも大切な「脳機能」、つまり、患者さんの「心の状態」や「気持ち」をないがしろにしていたからです。
 
・自宅で最期を迎える患者さんには、何か劇的な変化(急変)が起こることはなく、しだいに食べられなくなり、歩けなくなり、痛みや苦しみを医療用麻薬でコントロールしながら、眠る時間が長くなっていき、枯れるように亡くなっていきます。2000人以上の死の現場を見てきた私は、自然に死んでいくことができれば、死は苦しいものではないことを知りました。
 
・在宅緩和ケアの門を叩いた当人や家族に、私は人が亡くなることを「飛行機の着陸」にたとえて説明しています。飛行機は着陸するとき、燃料を減らします。燃料を積んだまま着陸をすると、着陸に失敗した際、燃料に引火して大惨事になるからです。とくに離陸した直後に機体にトラブルがあった場合は、旋回して燃料を捨ててから飛行場に戻り、燃料が空になるタイミングで病院で亡くなる人のほとんどは「死へ着陸」するのではなく死へ墜落」しています。着陸態勢に入った人は、食べられなくなり、痩せてきて、水も飲まなくなってきます。これは栄養を使い果たして、安全に着陸するための準備段階だといえます。にもかかわらず、医師や一般の人の多くは「栄養や水分が足りないと死んでしまう」と考えて点滴治療を始めます。すでに機体がボロボロになっている飛行機に、無理やり燃料を詰め込んでも、そこから飛行機が再び上昇することなんてありえません。燃料を入れたところでもう飛べないのだから着陸するしかないのです。延命治療とは、着陸間際まで高度が下がっている飛行機に、ロープ(チューブ)をつけてヘリコプターで吊り上げ、空中給油をしているようなものです。いくら燃料を詰め込んでもあちこちが故障していきます。かろうじてエンジン(心臓)は動いているが、主翼まで折れ曲がっている状態です。
 
・医師が患者さんに治療を勧めるときの定番フレーズが治療しないとたいへんなことになります」です。私はいろいろな意味で、このフレーズが腑に落ちません。まず、「たいへんなこと」とは、つまり「死ぬこと」もしくは「苦しいこと」になります。 そもそも、治療をすれば死なないのでしょうか。いいえ。治療してもしなくても、人は必ず死にます。むしろ、治療することで命が短くなることもあります。また、治療すれば苦しいことが起きないのでしょうか。いいえ。むしろ、治療すると患者さんは副作用や後遺症で苦しむこともあります。
 
・そして、病院の生き残り戦略として重要なのが「健康診断」や「人間ドック」だといえます。通常、病院にはなんらかの不調や症状が現れた人がやってきます。しかし、患者数が足りず収益が伸びない中小の病院は、早期発見・早期治療」のお題目のもと、健康診断や人間ドックを積極的に行ないます。そして、「あなたは病気の可能性があります。精密検査をしましょう」と言えば、あっさり検査料をゲットです。
 
「結婚してくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」「今、私は幸せです」「あのときは嬉しかったよ」「いろいろあったけど、一緒に暮らせてよかった」と、素直な気持ちを伝えましょう。すると、ほとんどの患者さんは「いい人生だった」と言い出します。「いい人生だった」と言える心の状況だと、体も不思議とつらくなくなるのです。
 
・私は一馬の父親にこう聞きました。「死亡診断書は青木一馬でいいですか?」父親は少し迷ってから、
 
「そうですね。地球の名前でお願いします」と微笑みました。
 
《死亡診断書名 青木一馬 カルテ名 ウルトラマンカズマに変更(変身)》
 
 
いいねえ……ニャンコのように亡くなるときは姿を消して亡くなりたいね。超オススメです。(=^・^=)