「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「最強モンスター井上尚弥はこうして作った」(大橋秀行)

昨年末に、とあるところで「流し」でお会いした大橋ボクシングジム大橋秀行会長。現役時代からファンだったので、ひと目見てわかった!!!しかもリクエストがあしたのジョー」(尾藤イサオ)、「美しき狼たち」(おぼたけし)だったので確信した!!!
 
おー!!!世界チャンピオン!!!しかも史上最強のボクサー、井上尚弥を育てたということで「流し」どころじゃなくてコーフンしまったっ!!!
 
さてこの本、「井上尚弥川嶋勝重八重樫東宮尾綾香、井上拓真――。5人の世界チャンピオンを育てた人材マネジメントの極意が今明かされる!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
私を支えようとしてくれる多くの縁にも恵まれて、おかげさまで、これまで に5人の世界王者を輩出することができています世界3階級制覇、兄弟同時世界王者、女子王者、さまざまな国内最速記録といっ た「冠」を、次々と手にしてきた私のジムの所属の選手たち。そんな選手たちに私は、 世界王者の先輩として、そして何よりジム経営者として、どのように接してきたのか。 向き合ってきたのか
 
・基本的に私は、技術的な指導よりも選手の個性に合わせた心のマネジメントを自分の主な仕事だと考えています。選手たちのキャリア形成をサポートするという点で見 れば、もっとも重要な仕事は対戦相手を決めるマッチメイクだと考えています。
 
・こうした私の日常業務、その取り組み方などは、ボクシング界に身を置いていなく ても参考にしていただけるのではないでしょうか。ボクシングファンからすれば裏話的な内容も盛り込まれていると思います。告白本 としても楽しんでいただければと願っています。
 
井上尚弥は、高校卒業と同時に大橋ジムの一員となりました。マチュアでの実績もずば抜けている尚弥は、入門の時点で「原石」などではなく、「光り輝く宝石」です。ほかの選手と違い、れから光り輝くために磨くのではなく、すでにある輝きをさらに増すための磨きをかけることが求められる逸材です。 だから私は迷わず、尚弥のキャッチフレーズを、「怪物」に決めました最初のうちは本人も気に入っていなかったようですが、私が押し切りました。
 
・ルックス的なところではなくボクサーとしての半端ない強さこれは、まさしく「怪物」と呼ぶにふさわしいレベルです。そして、ゆくゆくは海外に進出するということも想定し、海外ファンから、「モンスター」と呼ばれて恐れ崇められる存在にまで進化してほしい・・・・・・。そんな思いも託していました。
 
・そこで私は入門を発表する記者会見で、日本人の世界タイトル奪取最短記録を狙わせる」と宣言しました。これは「怪物」が最初に手にする称号としてふさわしいとも思いました。もちろんアマチュア時代から見続けていて、それが実現可能な人材だと信じているからの発言です。
 
・上気した体から発散される汗から何からが、本人の闘争心を表しているような感じ で、私でも話しかけるのをためらうことがあるほどです。戦士が集中力を高めながら戦場に向かうときを待つ。本当にそんな雰囲気です。ところが尚弥は違います。いい意味でリラックスの絶頂にある感じで、今から戦うという雰囲気ではありません。まるでサラリーマンが会社に向かうかのように、飄々としたムードで控え室を出ていくのです。 こんな選手は、今まで見たことがありません。
 
・尚弥からは入門時、「強い相手としか戦わない」いう条件を出されていました。トレーナーでお父さんの真吾さんも同じ意見です。 その項目は契約書にも盛り込まれています。だからデビュー戦といって勝てそうな相手を見つけるのではなく、その条件に見合う強い選手を探す必要がありました尚弥の希望を容れて強い選手を当てて、仮に惨敗しようものなら一大事。それでも負けを恐れて「そこそこ強い」相手を選んでいたら、たとえ勝てても尚弥は不満だったでしょう。
 
・というのも私の師匠でもある米倉会長、私、八重樫と、いわばヨネクラ系ボクサーが3世代連続して失敗していたからです。それを4世代目といえる尚弥が果たしてくれた。入門時の会見で宣言したことを実行したという以上に、この「悲願達成」という事実が、私にとっては、ますます大きな喜びをもたらしてくれたかもしれません。こうして着実に実績を積み重ねていく過程で、尚弥は本物の怪物」としてファンから認知されていったと思います。高いハードルを次々と越えていくからこその説得力。そのハードルを的確に設定できていたのかなと、振り返ってみれば自分でも誇りに思います。
 
スパーリングで発揮している強さが試合で思うように出せなくなっていたのです。それに加えてスパーリング相手を探すことも、だんだん難しくなっていました。
尚弥の強さが世に知られれば知られるほど、練習で壊されたくない」と敬遠する選手が増えていったからです。強すぎるゆえの悲劇ですが、インターネットが救ってくれたところもあります。昔と違ってインターネットで動画を検索、見たい映像を見たいときに見ることができるようになった現代。尚弥の試合映像は世界中で検索されて閲覧されています。
 
・当時は(ジムの選手を)「いっぱい集める」が最大のテーマでしたから、私の方針は自然と、「厳しく」よりも「面白く」に傾いていました。だから携帯電話で話しながらサンドバッグを打つ。そんな練習態度も「あり」でした。
 
松本好二は私と同じく横浜出身。さらに横浜高校から専修大学そしてヨネクラジムでプロという、私とまったく同じコースを歩んできた後輩です。高校時代はインターハイ決勝で沖縄の興南高校の選手に負けているのも私と同じ。 大学を中退してプロの道に進んだのも同じです。自分のジムに専属トレーナーとして呼んだのは、設立5年目くらい。私は、彼にどうしても来てほしくてお願いしましたそれはカワイイ後輩だからではありません。彼が持つトレーナーとしての高いポテンシャルを信じていたからです。
 
・現役時代、米倉会長にサボりたい一心から「休みたい」と申し出たことがありました。「 休んでもいいが1日の遅れは後で自分が思う以上の大きな差になるぞ」 と忠告されたことがあります。ボクシングの練習は「自己との闘い」の繰り返しです。「サボろう」と思えば簡単 にサボれるし、真面目に頑張った分だけ実力は上乗せされます。どちらを選ぶかは自分自身です。毎日が自分に勝つか負けるかの真剣勝負です。
 
命をかけて取り組んでいる選手には自分も命をかける。適当に流している選手に対ては、こちらも適当に流す。 
 
川嶋勝重は、本番にとてつもなく強いタイプだったのです。これは、実際に本番を迎えなければ発見できない長所でした。しかし、こういう例外があることを知ったおかげで、何がなんでも原則に従うという考えから逃れることができました。相手の長所はどこにあるかわからない。どこに隠れているかわからない。そんなことを教えてくれたのが、川嶋というボクサーです。川嶋は全日本新人王こそ逃しましたが、立派なプロ1年目だったといえます。
 
「お前に世界なんか獲れない!」こんな言葉が、私のノドまで出かかりました。しかし一方で私は当時、言葉遣いや言葉選びには特に慎重であろうとしていました。それが幸いしました。先ほどの言葉が頭をよぎった瞬間に一呼吸置くことができた私が川嶋にかけた言葉「お前なら世界を獲れる!」後に川嶋は、あの会長の言葉があったから励みになった。頑張れた。おかげで世界王者になれました」と感謝してくれましたが、私の心の中は危機一髪でした。
 
・川嶋から学んだ大きなことは、もうひとつあります。それは、一度決めたらやり抜く力」です。彼の初志貫徹ぶりは見事でした。そのハートは驚異的な強さでした。 それがなければ世界王座にまでたどり着けなかったでしょう。やり抜く力」があったからこそ、何があっても練習を怠らず、諦めることもなかった。だから私もチャンスを与えようと思えたし、川嶋はチャンスを活かすための努力 もしたのです。
 
・私に対して会長が付けたキャッチフレーズが、「150年にひとりの天才」です。当時の私は、具志堅用高さんが「100年」だったので、さらに上を行くという意味だったのか。150年前にボクシングは誕生していませんでしたし、今でも謎です「150年」としているのですが、なんで「200年」ではなく半端な「150年」「何いってるの? 恥ずかしいな・・・・・・」とキャッチフレーズに対して後ろ向きでしたが、ずっと前向きに明るく同じことを いわれ続けると、人間は錯覚します。相手の発言内容が本当だと思えるようになって 自信がついていくのです。これも「アメ」の効果です。

 

名選手が名監督でもあるんだね。スゴイなあ、大橋会長、またお会いしたいです。格闘技ファン、ボクシングファン必読っ!オススメです。(^^)