「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「新約 弓と禅」(オイゲン・ヘリゲル)

今年、というか最近出逢う本は素晴らしい本が多い、多すぎるなあ。年末の番付表の選定にいまから迷うなあ……。ウレシイ悲鳴だ。



「考えるのをやめなさい」。日本滞在中に弓道を学んだドイツ人哲学者ヘリゲルは、自我を捨て心を無にして的を射よと説く師の言葉に、あらゆる道に通底する禅の奥義を感得する。精神集中と身体の鍛練によって、いかに「無心」となり得るのか。世界中で愛読され続ける日本論の名著を新たに訳し下ろし、講演録や鈴木大拙の序文とともに収録。最新研究を踏まえた解説により、日本的な武道と芸道、そして禅の真髄を解き明す決定版」そのエッセンスを紹介しよう。

 

『弓と禅』は、ドイツ人の哲学者が、日本に来て数年間、全身全霊で射る中で無心を体験することに弓道に奥義があると唱えた師について阿波 研造から弓道を学ぶ中で、身体遣いが変わり、精神集中を強め、技を深め、ついに無心の射を経験するまでの過程を整理して著した書である。本書では意識を超えた無心の行為を「禅」と表現しており、弓道のみならず、華道や墨絵などの芸道でも奥義は無心となることだと語るとともに、禅の世界をッ展望するものとなっている。欧米では、弓道の書というよりも、禅の何たるかを描いた書としてよく読まれている。
 
・日本人は、弓道の「道」を、主に肉体的な訓練によって、的に「中(あ)てる」ことが標準となり、誰でもが多少なりとも出来るようなスポーツ的な能力ではなく、その根源は純粋に精神的な修練を追求する能力でありその目標は精神的に中てることにあり、その結果、射手は結局のところ自己自身を狙い、そのことによって、自己自身を射当てることに達する能力であると解しているのです。
 
日本のすべての道は、その内面的な形式から言えば一つの共通の根、すなわち仏教に遡るということは、我々ヨーロッパ人にとってもしばらく前から秘密ではなくなっています。弓道水墨画、茶道、能楽道、華道、剣道と同様です。その最も高められた形式においては、仏教特有のものであるということを前提にしていることを意味しています。
 
・『弓道は、スポーツではありません。したがって、あなたの筋肉を発達させるようなことは何もしません。あなたは、腕の力によって弓を引っ張らず、弓を『精神的』に引くことを学ばねばなりません
 
『あなたが弓を正しく引けないのは、肺で呼吸しているからです』
 
・『あなたの一番の欠点は、まさにあなたがそのように立派な『意志』を持っていることです。あなたは、矢がちょうどよい時だと『感じ』、『考え』た時に、矢をすばやく射放そうと『意欲』され、意図的に右手を開いています。つまりそのことを意識しています。あなたは無心であることを学ばねばなりません躰が自然に離れるまで、待たなければなりません』
 
・「的に中てるためには、狙わねばなりません」「違います」的を狙ってはなりません。的のことも中たりのことも、何も考えてはいけません。弓を引いて躰が離れるまで待ちなさい。その他すべてのことは、それが生じるに任せなさい」
 
的と私が一つであることは、仏陀と一つであることを意味しますそして私と仏陀と一つであれば、矢は存在と非存在の不動の中心ーしたがって的の中心にあるのです。あなたは的を狙うのではなく、自分自身を狙うのであれば、あなたは自己自身に中たるのであり、同時に仏陀に、そして的に中たるのです。
 
弓を射ることは、筋肉を強めるためではないことに注意して下さい。弦を引くのに、全身の力を使ってはなりませんただ両手にだけ仕事をさせるようにいて、腕と肩の筋肉は、力を抜いたままで、あたかも何も関与していないかのように見ていることを、学ばねばなりません。
 
正しい道は、目的がなく、意図がないものです。意志で行わないと何も生じないと、思い込んでいる。
 
・日本人の弟子は三つのことを持ち合わせている。正しい教育。自らの選んだ道への情熱的な愛。師匠への批判なき尊敬である。

 

深い、深いなあ。弓道とアーチェリーは、東洋と西洋の違いを表しているよね。的を狙うか、狙わないか。いちどやってみたいなあ。超オススメです!(^^)