「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」(島崎今日子)

ちょうど4年前、東京国際フォーラムでの沢田研二ライブを観た。はじめてだった。すごかった。何がすごかったかって?声よ、ボーカルよ!!!そして、その体型っ!!!(笑)すっかり変わってしまったけど、歌だけは変わらなかった。しかもエレキギター一本!アコギじゃなくてエレキね。それでも沢田研二独自の世界を堪能したのだった!♪

 

「60人超の証言者が語る、沢田研二ノンフィクションの決定版。1970年代。音楽、ファッションが革新を遂げ、ポップスが花開く。その中心には必ず、彼がいた。バンドメンバー、マネージャー、プロデューサー、共に沢田研二を創り上げた69人の証言で織りなす、圧巻のノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。

 

「時間ですよ」「寺内貫太郎一家で高視聴率をはじき出していた久世光彦は、沢田研二「女優だ」と語った。人気絶頂の若手アイドル、郷ひろみ西城秀樹も、さらには美貌で知られたさえ沢田の代わりにはなれない、と久世はいう。「底がまるでわからないくらい深いからね」

 
・「ともかく色っぽいんだよ。どんな女優をもってきても沢田のほうが色っぽい」「目の色変わってるって言われるけれど、実際ドキドキして演出をやっているからね、もう、最高の至福の状態になれるわけ」「オレは沢田研二とならばいつでも一緒に死んでもいい、と思っているわけよ」
 
・日本人男性の男はこうでなければならぬとするカチカチのこだわりに、沢田研二はたったひとりでなぐりこみをかけた。
 
萩原健一がその生涯でライバルと認めた男はただひとり、沢田研二である。彼が「恋人」と呼んだ男もただひとり、沢田研二だけである。
 
「ボクは流行歌手やから、売れているということがすべてだと思う。売れるということが前提になければ何をいっても始まらない」
 
・13年2月9日、NHK BSプレミアム吉田拓郎千夜一夜のゲストは沢田研二であった。1946年生まれで、沢田より二歳年上のフォークのカリスマとポップスのカリスマの邂逅は、この時が三度目。拓郎は「こんなに長い間一人の人を好きでいるなんて、ボブ・ディラン沢田研二だけ」「僕、生涯後ろでギター弾きたいと思っているのは、沢田研二中島みゆきだけなんですよ」と、ジュリー愛を全開にして沢田を迎えた。

 

スゴイなあ。ジュリー、あらてめて聴きたくなりました。あの時代が蘇るっ!オススメです。(^^)