明治大学の大先輩の阿久悠さん。ちょうどワタシの両親と同じ世代。『スター誕生』ではいつも怖い顔をしていたのをいまでも覚えている。阿久悠さんがなぜ明治に入ったのかというと♪〜白雲なびく〜♪の校歌が好きだったというのは有名な話。
さてこの本。阿久悠さんさんの自伝ともいうべき本。主人公が、阿久悠=悪友じゃなくて愛情=阿井丈というはオモシロイ。
「私の父の深沢武吉は、生涯巡査であった」。戦中から戦後初期の淡路島。小さな駐在所に身を寄せ合う、ある一家のささやかな幸福と戦争の傷痕。――実父をモデルに著者が遺した珠玉の物語は、父親とは何か、時代の激変のなかの家族、人間の矜持、生きることの諦観と希望とは何かを問いかけてやまない」そのエッセンスを紹介しよう。
・私が作詞家になったのは、時代のせいだった。
・「この先、わしは何があっても働かんぞ。金が底をついて、 飢え死にしそうになっても働かん。そのつもりやから、 みんな覚悟してくれ。疲れた。しかし、わしは、 充分にようやった」
・出征の前夜、私は父に命じられて、 風呂の焚き付け番をしていた。風呂には、兄の隆志が入っていた。 明日は入隊するという男子は、 まるで神になるように扱われるもので、 兄の場合も例外ではなかった。 家族がそろって奉仕する気持ちになっていて、私もそうした。
・思えば、十七歳の娘の不埒が、つまり、 封建的な父親の威光を無視して風呂に入っただけのことで、 民主化などという言葉を使うのは大仰に過ぎるが、 何十年も絶対であった家の中の秩序や禁忌が、 実にあっさりと崩れたことは事実であった。 姉の千恵の一番風呂事件は、考えてみれば、 我が家の出来事にとどまらず、なかなか象徴的である。
・「何をしてもええ。そこそこの行儀が守れるなら、 何でもええやろ。ガミガミは云わんことにする。 出来るだけ云わんことにする。その代わり。わしも、 我儘を一つ貰う。刺身を食う。毎日、時化でも、台風が来ても、 刺身を食うぞ。他はええ。」深沢武吉家の民主化の、 一番風呂と刺身の関係が、 どこでどう連動しているかわからないが、父は刺身に拘泥わり、 母のきく乃がはそれから三十年近く、 新鮮な刺身の調達に苦労するのである。一日一皿の刺身のために、 武吉は、頑固や美意識や、 信念の何十分の一かくらいを売ったようにも思える。
・私はずっと水平線の彼方を見ていた。 淡路島の西海岸に住んでいたから、 水平線の彼方は瀬戸内海であるのだが、 私はそう思っていなかった。 物理的にはあり得ないことであっても東京で、しかもその東京は、 未知の世界と同じ意味合いを含んでいた。
・私が、私の中でだけ光り輝く堕落という言葉を、 具体的に実感した最初は、 同じように映画館の常連となっていた光子という女であった。 三つある映画館の、どこへ行っても出会った。 声をかけてきたのは光子の方からで、 ちょっとからかってみたというだけに過ぎない。その光子と、 一度だけ海水浴に行った。そこで、冗談めかしてではあるが、 接吻された。私は、肺臓にひろがる幻覚を見、あかんね、 と云った。光子は、性そのものの女であった。 映画館の光子などは、性器そのものに見え、 その気になれそうなれたものをと、浅ましく後悔しながら、 ただただ、悶々は続いていた。
戦中戦後の体験がみごとに描かれている。数々の名曲を生み出したその生い立ちと背景がわかる。オススメです。(^^)