「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「夢の超特急」、走る!新幹線を作った男たち(碇義朗)

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ワタシは昭和39年、東京オリンピックの年の生まれ。まさに今日、10月10日は開会式だったんだよね。そしてそれを記念して「体育の日」が制定されたこの年は首都高速東海道新幹線が開業した年でもあるんだよね!確かこの本のにかかれている島安次郎・島秀雄の島親子や十河信二さんのことは何度か耳にしたことがあるけど、これほどのドラマがあるとは思わなかったあっ!

 

「昭和39年10月1日。晴天の東京駅新幹線ホームをその列車は走り出した。世紀の国家プロジェクトに挑んだ男たちの姿を生き生きと描く」そのエッセンスを紹介しよう。
 
昭和39年秋に東海道新幹線が登場した頃は、少年たちにとって新幹線は“夢の超特急”であり、あこがれの存在であった。敗戦の痛手から立ち直った日本の鉄道技術が、時速160キロ以上の営業運転は不可能であるという世界の定説に挑戦してそれを覆し、一挙に世界一の高速鉄道を実現したからである。走行距離は10億キロを超え、時速200キロ以上の高速で30億人以上を運びながら乗客を乗せた列車の脱線、衝突事故が皆無、乗客乗員の死傷もゼロという驚異的な安全性と信頼性を確立している
 
この結果、ひと頃は自動車や飛行機など他の交通機関に追い上げれ、衰退の一途を辿ろうとしていた鉄道を見直させ。将来にわたって生き延びることを証明した「新幹線」は、日本が今世紀中になしとげた世界への貢献の中でも、最大のものの一つだ
 
十河信二総裁の就任の言葉国鉄のため、国民のため、最後の御奉公と思い、線路をまくらに討ち死にする覚悟で……」と語ったことが話題になった。十河はいくつかの国鉄再興案を持っていたが、その一つが東海道広軌新幹線を建設することであったそれはかつて彼の国鉄在籍時代に広軌を主張した後藤新平仙石貢、白石真治、木下淑夫、島安次郎といった大先輩たちの遺志を継ぐものであると同時に実質的にこれを国鉄再建の柱にしたいと考えていたようだ。
 
「電化の明と暗」「桜木町事故」「新幹線は国鉄として経済性を前面に打ち出したあじめての路線計画」「高性能電車時代の幕開け」「世界銀行借款に成功」「難航する用地買収」「利権の構造」「噴出した予算不足」「それぞれの退陣」など。

 

いや〜スゴい!これは新幹線に乗るときに、イメージ変わるわー!もし新幹線がなかったら?どうなっていたのだろう……。感謝でいっぱいになるっ!これは日本人必読だと思うよっ!超オススメです。(・∀・)

 

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