「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「KITANO par KITANO 北野武による「たけし」」(北野武 ミシェル・テマン)

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明治大学生田校舎の大先輩のビートたけし。 彼を見ているとワタシ自身とダブルところがあるのだ。兄が同じ明治、同じ生田校舎、兄の方が頭がいい。大学入学と同時に研究に向いていないことに気付く。たけしは中退、ワタシはお情けで卒業証書だけはいただいた。(笑)たけしはバイク事故で瀕死の重傷を追い、ワタシは19歳のときの自転車事故で同じく顔を潰し4回の形成手術を受ける、などなど。あとはビッグかスモールかだけ(笑)。(・∀・)♪

 

「コメディアンとしての出発から、テレビの顔、俳優、そして日本を代表する映画監督となるまで―。多面体「世界のキタノ」の本音に、フランスの敏腕ジャーナリストが5年越しの取材で迫る。生い立ちとエンターテインメントへの憧れ、亡き師匠との思い出、自作映画の解題、バイク事故で生死の境をさ迷った時の感慨、日本に対する思いまで、ひとりの「天才」の栄光と挫折を引き出した名インタビュー、待望の文庫化」そのエッセンスを紹介しよう。

 
日本文化の真の偶像(アイドル)であるこのアーティストのことが無性に気になり始めた。私は北野と話をしながら、根気よく一歩一歩、彼の足跡をたどっていった。質素な家庭、遠い昔のアマチュアのボクサー時代、野球選手や歌手を夢見たり、ストリップ小屋に立った若き日々。一気に駆け上がったスター街道。そしてもちろん、極端な暴力、ブラックユーモア。純情、幼稚なゲーム感覚の入り混じった、独特な作風の映画作品についても。私は少々当惑しながら、多元的な作品、山のようなコメント、記事や評論、三十年前から彼について言われてきたこと、書かれてきたことを調べながら、新たな解釈を与えていった。酸いも甘いもかみ分けた、善悪も知り尽くした北野という男の抱える悪夢や不安を紐解いてみたいと思った。多くの弟子たちから慕われている、この指導者の幸せについても、もっと知りたいと思った。
 
浅草でひっそりとデビューしてから30年、周囲から「殿」と呼ばれる彼は、閉ざされた日本テレビ界の真の帝王だテレビと映画、ふたつの世界のスターである彼は、大金を稼ぎ出す。東京の下町で育った貧しい少年時代から、北野は夢に向かってまずは劇場、次にテレビと、映画界で真の成功をつかむために、一歩一歩はいあがっていった。そして今日、世界的に著名な映画監督となったのだ。
 
俺から親父に声を掛けることも少なかったけど、親父も俺には滅多に話してくれなかった親父が遊んでくれたのは、初めて江ノ島に海を見にいった、あのときだけ。それが親父との唯一の……まあ、幸せな思い出だな。だからかな、俺の映画に海のシーンが頻繁に登場するのは。あの日の海の光景が、いまでも自分の中に残っているのかもしれないね……。子ども時代に、親父から話しかけられたのなんて、せいぜい三、四回だと思う。でも、驚いたことに病床でさ、親父、そのことを後悔してるって口にしたんだ。ちょっと遅すぎるでしょ。つまり、俺たち親子はしくじったんだよね。俺はずっとあとになって理解したよ。
 
・大学で、俺だって普通にまじめに勉強できたかもしれないし、そうすべきだったのかもしれない。そうすれば、いい成績を取れたかもしれないしね。だけど、日が経つうちに自分の性格がさ、勉強なり研究なりに向いてないってことに気づいたんだよね。四年間在籍してたんだけど、後先も考えずに大学を辞めた。家族はがっかりしてたね、とくにおふくろはめちゃくちゃがっかりして怒ってたよ。兄貴が出世コースを歩んでいただけにね。すぐ上の兄貴の大は、今は明治大学の教授になってる。ほんとにすごい兄貴たちだよ……うちの家で勉学をやめるってのは、逃亡するのと同じことでさ、おふくろの夢を壊すことでもあったんだよね。はっきり言えば、独り立ちしたかったの。勉学をやめて、どっか別のところで生きるみたいに、家族と離れたの。
 
・軍団と俺は良い感じの親子関係にあると思う。俺、あいつらに何も望まないし、何も期待してないから。結局は、それが快適なんだよね。快適で居心地良い関係ってのは、きっとこういうことなんだろうね。
 
・俺の時間の使い方はいたって単純。一週間テレビの仕事をしたら、次の一週間は映画の仕事で、撮ってるか演じてる。そうでなくても、なにかしら映画がらみの仕事をしてる。この20年間ほとんどこうやって過ごしている。そもそも俺、働いているって感じたことがないんだよね。楽しんでいるって感覚だから。それに実はね、テレビについては、あんまり気にしてないの。人が思うほどは、注意を払っていないっていうかね。番組の司会をするときは、スポーツのような感覚でやってるの。テレビの仕事をしているおかげで、健康をキープ出来ているわけ。冴えた頭で楽しめるのね。
 
成功するって、カネを稼ぐって意味?大金を稼ぐ事?不動産をいっぱい持って裕福だったら、成功したってこと?忙しくてせかせかした生活してたり、有名になること?高等教育を受けること?それとも、上層階級に上りつめることなのかな?俺はそうとは思わないの俺、カネには無関心。たしかに、俺は稼いできたし、必要以上にカネが持ってるよ。でも、どうしてもカネが欲しいって、どうしようもない欲を感じたことは一度もないよ。名誉が欲しいと思ったこともないしね。幸せとカネは関係ないよ。物欲ってないんだよね。想像するだけで満足しちゃうから。
 
日本人にとって幸せってなにかって言ったら、まず、いつでもどんなときでも、何か自分にやることがあって、しかも、それが好きだって思うことだと思うね。とはいえ、俺ね、あんまり幸せって感覚に慣れてないんぢょね。いつも否定的な気持ちでいるからさ。どんなときでも最悪の事態に備えてるっていうかさ。俺、いっつも不安なんだよ……。
 
・貧しい家庭に生まれて、思春期の頃は、ハングリー精神があった。成功を手に入れたくて、這い上がりたくてうずうずしてたね。カネを持って、欲しいものはなんでも手に入れられるようになりたかった。有名になって、人を魅了して、おネエちゃんたちにちやほやされて、めずらしいもの食べて、かっこいい車にノッて……で、何年か経って、欲しかったものがすべて手に入ったとき、「人生って、こういうもんだったの?めちゃくちゃ努力して手に入れたものって、これだったの?」って思ったのね。なんか、ショックだった。今でもまだわかんない。
 
朝、家を出るとき、俺は家族のことを考えて手を合わせる。おふくろのこと、親父のこと、師匠、黒澤明さんのことも考える俺は仏教徒じゃないけど、大切にしている仏教の教えはいくつかあるね。とくに粗食を励行して、殺生を慎み、純粋さに近づけば近づくほど、神聖に近づくってところとか。
 
死には興味があるよ。死ぬっていうことそのものじゃなくて、往生する瞬間でもなくて、死が意味することに興味がある死の意味がはっきりすると、人生とは何か、人生とは何を表すものなのかがわかってくるよね。
 
俺には生きる意味が必要。どうやって、どんな方向性かはよくわかんないけど、まだ前に進んでいきたい。もっと映画を撮りたい。俺にとって、ストーリーを作ってそれを大画面に表現していく意味っていうのは、ある意味、現実の人生では叶えられないことを実現させてくれる、ひとつの方法なんだよね。人を笑わせるのはーしかも自己破壊的なやり方でねーこれは俺にとっては必然なの。人を楽しませることができるときだけ、自分のあらゆる能力を駆使できるお笑い芸人には他の仕事では持ち得ない社会的な立場があるって気づいたの。つまり、世の中のバカげたことについてさ、コメディアンなら思ったことをさ、なんでも言えるんだよ。
 
・俺の母親は、毎日、俺のこと眺めてるわけ。なんておかしな息子を産んじゃったんだろうね」って思ってんだろうな。ときどき思うんだよ。戦後の東京の下町に、俺は間違って生まれてきたんじゃないかなってさ。本当は江戸時代に生きてるはずだったんじゃないかって。江戸の時代に生まれてたら、きっと大工になってたと思うね。でも21世紀の初めに俺は生きてて、テレビで人を笑わせてたり、映画を撮って楽しみながらね。これが俺の運命。業だったんだろうな……。浅草の路地をぶらぶらしてる頃は、こんなことができるなんて考えもしなかったな。
 
・心の底では、自分のこと、ちょっとナルシストだって思ってるよ。まず自分に興味があるもの。たけしがどこまで行くのか見てみたい。まだ、たけしができることを見てみたい。まだ終りじゃない……もしまだずっと続けられたら、俺はいちばん幸せな男になるだろうな。

 

…うーん、深い!これ、日本人だったらこんなインタビューできなかっただろうね。今までの「たけし本」とはまったく違う。オススメです!(・∀・)

 

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