酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「駅弁の丸かじり 9」(東海林さだお)

 


駅弁の丸かじり (文春文庫)


またまた東海林さだお氏の本。この流暢な文体は、ときどき読みたくなるよねー。リラックマできるよねー。(・∀・)


「秋の夜には缶詰がよく似合う」「シジミの味噌汁を飲んでいると、人は反省を始める」「駅弁は幻想の食べ物である」「正露丸、海苔、カリントウは“外国税関三大一悶着物”として世に名高い」「現代の男女関係や家庭を天ざるの仕組みに垣間見る」…ジョージ君の飽くなき洞察と深い愛が溢れる食のエッセイ。そのエッセンスを紹介しよう。


さつま芋のことを思うと、なんかこう、ほほえましい気持ちになりませんか野菜界の愛嬌者、ボケ役、吉本興業所属、そういう気がしませんか。たとえば、さと芋なんかは、非情に真面目な感じで、吉本というよりどこかの宗教団体に所属しているような雰囲気がある。さつまいもは、その形のせいか、色のせいか、妙な親近感がある。握って嬉しく、振って楽しく、物をたたいて心地よい。


ナルトはいま、衰退の一途をたどりつつある。ナルトは世の中から消えてしまうのだろうか。ナルトは麺類のシンボルであり家紋であった。ちょっと前までは蕎麦屋のほとんどのタネものにナルトが入っていた。あのうず巻きは、右巻きか左巻きか知ってますか。ひっくりかえせば、右巻きも左巻きもないのだ。そのナルトいまなぜ衰退しつつあるのか。ナルトは企業努力を怠った。なーんにもしなかった。


「回転寿司」は、あれは回転というより、むしろ行進である。上流から、色とりどりのお寿司が行進してくる。それを大勢の大人が取り囲んで、じっと見守っている。冷静になって考えていると、あれは相当おかしな光景だと思いますよ。何となく賭博場の雰囲気がある。じっと腕組みをして考え込み、目の前に「札」がくるのを待ち、ときどき勝負に出る。悪い札は見逃す。ときどき「しまった」なんて思うこともある。


シェーキーズに一人で行って、Sサイズのピザを食べていて、つくづく思いました。ピザはやっぱりLサイズに限る、と。それから、ピザは一人で食べるものではない、と大勢で、取り合ってたべるものだ、と。Lサイズのピザを、大勢で取り合い、円形のあちこちが、少しずつ欠けていくところが楽しい。あちこち欠けた図柄が、なんだか楽しい。


キムチが現れるまで、ゴハンの世界は静かだった。白菜のお新香、納豆、塩ジャケでゴハン。いずれも静かな食事だった。ゆっくりとした箸使いで、落ち着いて、心静かに、しみじみと食べる食事だった。ところが、ゴハンの世界にキムチが入って様相は一変した。同じ白菜でありながら、白いのと赤いのとの違いだけで、こうも人園を変えてしまうのである。キムチはその様態からしてすでに凶悪である。お新香界の暴力団、という観もある。


駅弁はなぜおいしいか。体が揺れながら食べるからである。車窓の景色がうしろに飛んでいくからである。この二つの条件があって、初めて駅弁はおいしい。この二つが満たされなければ駅弁は、ただの弁当だ。だから、駅弁を買って帰って、家の中でコタツに入って食べても、うまくもなんともない。


その他、「“アブナイ”寿司屋」「“身分詐称”メンチカツ」「説教食のすすめ」「巷の解析化現象」「カリントウのドスコイ」「大阪の“マムシ”は……」「鯵フライ、B級に生きる」など。


ああ〜アジフライ、食べたーい!オススメです。(・∀・)


 


駅弁の丸かじり (文春文庫)