「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「二軍」(澤宮優)


二軍のグラウンドで、誰からも注目されず、明日に向かって懸命に汗を流している選手。まさに安い年俸で、きつい練習に耐え、いつかは一軍のひのき舞台にと夢見ている人たちである。彼らのモチベーションはどこになるのか、どのようにそれを維持しているのか。というのも二軍の選手の大半が、一軍に昇格できないままプロ野球界から去ってゆくからである。早い場合は、二年、三年という短い期間で戦力外通告を言い渡されることすらある。スター選手であったが、怪我のため、二軍生活を続けている人、ゆうに一軍で活躍できる力を持ちながら、選手層が厚いために、長い二軍生活を強いられるヒトもいる。あるいは実力のあるベテラン選手が、若手重視に切り替えられたために二軍におとされることもある。二軍でこれでもかとタイトルを取りながら、一軍の事情で呼ばれないケースもある。二軍と言っても、さまざまな事情を抱えて選手たちは、二軍のグラウンドで汗を流している。なかでも特に印象的だった章を紹介しよう。


赤ヘル機動力野球の申し子 高橋慶彦(広島・ロッテ・阪神)】



広島東洋カープの黄金時代にチームの核弾頭として赤ヘル機動力野球の申し子」と呼ばれ、打率三割を内、三度の盗塁王に輝き、33試合連続安打の日本記録を達成した。ベストナインも五回、昭和54年の日本シリーズではMVPに輝いた。彼は練習の虫でもあった。足を故障したとき、打席に椅子を置いて、座りながらも打撃練習をやったこともある。恋人のマンションに行ったときも、バットを持ち込んで夜中に素振りをしたという逸話もある。そんな彼の二軍時代の足跡を追う。


・デビュした頃のインタビューで目標する選手を聞いたとき、「僕はどんな選手も目標にしていない。今まである選手のどんなタイプにもなりたくない」と答えた。山本浩二掛布雅之かと聞かれても「違う。自分は自分だ」と言い切った


入団直後はプロの実力に驚くばかりだった。選手のプレーを見て、野球のレベルが格段に違うことが一目瞭然でわかった。「俺、一年でクビになるな」その危機感が、彼をもう練習に駆り立てることになる。真っ向から勝負しても勝てない。であればベース一周14秒台の脚力を活かして、シングルヒットで足を生かすという方向性が見えた。


「面白いのは、皆一生懸命したいっていう気持ちはあるでしょう。それじゃ具体性がないから方法が見えない。逆に僕はすぐに方向性が決まったから楽だったんだよね」


給料が安い。つまり遊ぶ金がない。街に出ることができないから、合宿所で練習するしかない。時間はたっぷりある。そして自分は皆より下手である。これ以上下に行くことは無い。後は練習したぶん上手くなるだけである。


・キャンプが終わり、シーズンが始まっても、高橋は合宿の傍にある雨天練習場で夜も二時間半マシンのボールを打った。打った球は自分で拾った。箱に入ったボールが無くなる。拾ってまた箱に入れ、マシンに乗せる。球拾いが唯一の休憩だった。


・給料が安いから、バットを折ったら大変だった。買う金もないので、折れたバットを釘で繋ぎテープを巻いて練習で使った。試合では先輩からのバットを譲ってもらった。「でもね、ファームは楽しかったね。好きで練習しているわけだし、寮の飯も美味かったし」


・やがて打撃練習でも、10球打っても1球しかバットの芯に当たらなかったのが、二回、三回と当たるようになった。それが十回のうち、五回当たるようになったとき、やっと二軍にいる選手のレベルに追いついた、と感じた。彼は自らを「ぶきっちょ」と語っている。だから人よりも多く練習をしなければならないし、少しでも上達したときは、「自分はこんなに上手くなった」と喜びも大きかった。それが張り合いになって、また練習にのめり込んだ。


「二軍選手はプロ野球選手じゃないもん。一軍に行って給料を取れて、初めてプロ野球選手って形よね。二軍の子はpプロ野球選手って胸張ったらアカンのよ」


「よく人に言うんだけど、“何かいいことないかな”と探しているときが一番幸せなんじゃないかと思う。僕の場合は、下から来ているから、他の選手より上達が五倍くらい楽しかった。それが、6,7,8,9,10とステップが上がるたびにまだどんどん楽しくなる。気がついたら人より上に行っていたわけ」「小さいとき僕らは飯食う時間決めたら、だいたいその時間で食うやん、で飯は食わんと死んでしまうバット振るのもそれと一緒。俺、レギュラー獲って一回だけ素振りしないで寝ようとと思ったことあったんよ。で、寝てたんよ。でも気持ち悪くて、“わ、駄目や、寝れん”で素振りしたもん」


・彼は9歳から野球を始めて以来、11年間右打席で打ってきた。右ではプロのレベルで通用するようになったつまり、左で打てるようになるまで11年はかかるという計算になる。これまで自分で練習したノウハウはある。だから十一年分を一年で振ればいいという数式を立てた。要は一年で今までの分を振ればいいわけだから。


日本シリーズで彼は膝の具合が思わしくなかった。痛くて足を引きずっていて、顔にもその苦しさが出ていたのだろう。江夏豊「お前が嫌な顔をしていたら、チームにどれくらい悪い影響を与えるかわかるか」と叱った。お前が痛いのは、俺はわかっている。だから普通の顔をしておけと。同じように衣笠祥雄も言った。シーズン中にあばら骨にひびが入ったときである。「痛いのはわかっているから、我慢してやれ。顔には絶対出すな」骨にひびが入っても平気な顔をできる選手とできない選手がいる。平気な顔ができるのが本物のプロなのだと高橋は思った。


二軍であればごまかしが利くんですよ。一軍のバッターと二軍の違いは、一発で仕留めるか仕留められないかです。甘いボールを一発で打ち砕くのが一軍なんです。二軍のバッターはミスショットや打ち損じが多いんです。


その他、「史上初の初登板ノーヒット・ノーランの光と影 近藤真市(中日)」「ファーム四冠王の意地 庄子智久(巨人・ロッテ)」「甲子園のプリンスにとっての二軍 太田幸司近鉄・巨人・阪神)」「十年目の初勝利、そして防御率一位 戎信行(オリックス・ヤクルト)」「巨人軍寮長から見た“二軍” 武宮敏明、藤本健作(巨人)」


へえ〜!やっぱり二軍とはいえ、プロの世界ってスゴイんだねえ。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)