一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

COLUMN〜『王貞治が初めて語った「国籍」「長嶋茂雄」』(松下茂典)

文藝春秋 2010年 06月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 06月号 [雑誌]

私が大尊敬する、福岡ソフトバンクホークスの球団取締役会長の王貞治氏。

(^u^)王さんとよばせてもらおう。子どものころからだから、もう40年以上のファン歴になる。このブログでも王さんの本はたくさん紹介したよね。


BOOK〜“王貞治”を演じきるということ…『王の道』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100205

BOOK〜世界の王さんの素顔…『人間・王貞治−89野球魂−』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20090714


さて、このコラムは、2010.6月号の文芸春秋で語られたのだけど、国籍問題についての記述がグッときたのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


王貞治については、選手・王、監督・王については、語り尽くされた感がある。だが、人間・王については、まだ謎が残されている。王の国籍が台湾であることは関係者に知られているが、久しくタブー視されてきた。帰化しない理由についても、王の肉声がどこにもなかった。


高校時代に「日本国籍を有していない」という理由で、出られなかった静岡国体。その王が、巨人時代、本塁打の世界記録を樹立し、国民栄誉賞第一号になった。そして、日本代表監督として、日の丸を胸に、WBCを戦い、世界の頂点に立った。70歳の節目に、それらのことを、ひとつひとつ訊きたいと思った。


終戦直後は、みんな飢えていましたが。うちは食べ物屋ですから、腹一杯食べられました(笑)。だから、ぼくは生まれてこの方、一度もひもじい思いをしたことがないんです」


・戦後、父・仕福(故人)がつくる中華料理は、安くてうまいという評判が立ち、「五十番」には、お客が遠方から自転車に乗ってやってきて、大繁盛した。「おやじには、ひもじい思いをして、中国の山の中から出てきて、日本で生かしてもらっているんだという考え方がありました。だから、日本人とは仲良くやりなさい。自分ができることはしてあげなさい。というのが口癖でした。店で火を落としちゃった後、常連さんが店に来て、『何か食わしてくれ』といわれたら、ひとりのお客さんのために、また火を熾した。いまだったらガスだけど、当時はコークス。だから、ぼくはここまで生きてきて、あんまり人と揉め事をするということをしないできたのは、おやじのそういう教育もあるでしょうねぼくらは温和なというか、トラブルを起こさないようにしながら生きるというラインで育ってきちゃったんですね


ぼくは恵まれた環境で育ちました。中国籍なんだけど、人間として、つらい思いをしたとか、耐えなきゃいけないとか、そういう思いをしたことがないんです。だから、もしかすると、他人の痛みはわかんないかもしれない(笑)だけど、自分の好きな野球、それもバットを持って打つことだけは、なぜか知らないけど、ほかの人よりできたんですよ。ただ、ただ、打てたんです。


早実に入学した王は、高校二年春、センバツで優勝投手になるが、その年の秋、事件が起こる。国体の基準で出場者は日本人に限られることになっていて出場できなかったのだ。自著『回想』には、こう綴っている。「今までの四十年の人生で、私が一番傷ついたのは、この時だ」王は意外だとばかり、大きな瞳を見開いた。「『回想』にそんなのあったかなあ(本を手に取り、そのくだりを読む)。確かに書いてあるけど、ぼくはね、そういうふうには思わなかったですね。ある程度、風化しているのかもしれないけど。要するに、甲子園に出られないほどの傷つき方ではなかった、ということですよ」高校生の王の生身の感情は今となっては分からない。だが、この一行がもたらした影響は、はかりしれないほど大きかった。周囲の日本人も、メディアも、王の国籍についてふれるのを避け、タブー視するようになるからである。その王に、二十年後、日本初の国民栄誉賞が贈られるとは、誰が想像しただろうか。


「(国民栄誉賞の)そのときも、ちゃんと中国籍ですからね(笑)。いまも、そうですが。国民栄誉賞というのは、おそらくムードでできたんでしょうね。でも、まあ、お断りする理由はないんでね。政治的な部分もあるでしょう。ただ、福田(赳夫総理)さんがどう思ったかは知りませんが…」


国籍についても、明るく語る王だったが、今回の取材で判明したことがある。王の叔母の川口志津子によると、戦時中、父・王仕福は、スパイ容疑で地元署の連行されたという。むろん、根も葉もないことであったが、人差し指と中指の間に鉛筆を挟まれ、指先をねじられるという拷問まで受けていた。そのせいで、仕福は帰化を考えたが、はたせなかった。王はいままで帰化しようと考えたことはなかったのだろうか。


「さっきの国体の話じゃないけど、ぼくが中国人だということは、世間に知られているわけですからね。あらためて日本国籍を取ろうという気持ちは全然なかった。中国との国交が開いて、台湾との国交が断絶したとき、ぼくらの仲間は、みんな日本人になりました。でも、ぼくは、野球をやっていたので、アメリカに行くときにパスポートがいるだけの話でね。帰化しようとは思わなかった」

〜中略〜

2006年3月。王ジャパンのWBC世界一は、まだ記録に新しい。日本からアジアへ、そして世界へ。本塁打世界記録を打ち立て、「世界の王」と呼ばれた王が、いつのまにか国籍と国境の枠から解き放たれ、正真正銘の「世界の王」になっていったのである。


「ぼくは、下町の野球に始まり、ただただ一途に野球に打ち込んできただけなんですけどね。でも、スポーツというのは、言葉がいらない。野球にのめり込めば込むほど、世界に輪が広がっていった。好きな野球をずっとやらせてもらって。こんな幸せなことはありませんよ。これまで皆さんに支えられ、お世話になったんだから、これからは少しでもお役に立ちたい。私個人の欲望は、とっくの昔になくなっています。そういう人生になっちゃったんです。だから、騒がれているわりには、お金もたまっていませんけどね(笑)」


ウチ(SA)のオフィスには、王さんのサイン入りユニフォームが!!!(@_@;) やっぱり王さんはいいなあ!永遠のヒーローだね。