- 作者: 黄 文雄
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2011/12/28
- メディア: 単行本
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宮崎に来ています。またまた感動の本を読みましたよ〜!(^<^)
「各国軍の模範となった海軍軍人から、世界を驚かせた大冒険者、他国のために身命を賭し、今なお崇拝される人、さらにはパソコンのCPU、光ファイバーの発明者…日本人にはこんなにすごい人がいっぱい。知られざる「世界を感動させた日本人」の実像に迫る!」
その中でも最も感銘を受けた日本人を紹介しよう。
【欧米の海軍でもっとも尊敬されている潜水艇の艇長 佐久間勉】
・海軍大尉 佐久間勉艇長を含め14人の乗組員を乗せた第6潜水艇は、1910年4月15日、母船歴山丸に曳航され山口県岩国沖に向かい、その後、潜航の訓練中に事故で沈没した。自己原因は、通風筒から海水が流れ込み、機器がショートし、ついに浮上することができず、乗組員全員が死亡した。翌日、発見された艦内には驚くべき光景が見られた。
欧米で同種の事故が起きれば、乗員は決まって周章狼狽し、われ先にハッチ(出口)に殺到する。だが、ハッチ付近には誰の姿もなく、艇長以下14名全員が自分の持ち場を離れず、そのまま息絶えていたのだ。さらに佐久間艇長は遺書を残していた。そこには必死に修理を行ったものの、浮上することがかなわず、自分の最後の使命として遺書を書き残すこと、この事故を潜水艇の継続的発展研究の前車の轍として鑑にしたいことなどが、39ページにわたって詳細に書き記されていた。さらには天皇陛下へのお詫びだけでなく、艇長は部下の遺族への援助の依頼なども記していた。
このことが報じられると日本全国で感動の嵐が巻き起こった。遺書は一部の機密事項を除き、ほぼ全文が新聞紙上に掲載されたのだった。文豪夏目漱石は、この遺書の文面を名文と褒め讃え、また歌人与謝野晶子は、十余首もの追悼歌を捧げている。佐久間艇長の遺書の一部を紹介したい。
小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、
されど艇員一同、死に至るまで皆よくその食を守り沈着に事を処せり、
我等は国家の為め職に斃(たお)れしといえども、ただただ遺憾とする所は
天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃与うるに至らざるやを、
憂ふるにあり、
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を
さすれば我等一つも遺憾とすることなし、
あくまでも、事故の責任はすべて艇長たる自分にあり、艇員たち本分を尽くしたことを繰り返し述べており、兵を率いる者の矜持に溢れている。別に今上天皇への敬白があり、部下の残された家族が困らぬよう、いま念頭にあるのはそれだけであると記している。その後に、後事を託したかった、別れを告げたかった人々の名が書き連ねられている。事故の潜水艦内では気圧や酸素の異常もあったであろうが、最後まで文章は乱れることがない。享年わずか30歳である。若干30歳にして、13名の部下を率いて、あれだけの文章を綴る能力が、そして覚悟が現代の人間にあるだろうか。
この佐久間の遺書と乗務員の死は、驚きと感動をもって海外にも伝えられ、以後、外国の海軍でも軍人の模範として尊敬されている。オーストラリア紙「ジ・エイジ」が「世界の信じられない話」として報じられた。アメリカの軍事専門家ハンソン・ボールドウィンがその著書『海戦と海難』の中に艇長の遺書を全文紹介している。そして、その中で「佐久間の死は、旧い日本の厳粛な道徳、サムライの道、または武士道を代表した」と高く評価している。
スゴいなあ…(T_T)泣けてくる…。日本人の誇りだ。もっと先人に学ばなければ。オススメです。