「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『ラブホテルの力』(鈴木由加里)

ラブホテルの力―現代日本のセクシュアリティ (広済堂ライブラリー)

ラブホテルの力―現代日本のセクシュアリティ (広済堂ライブラリー)

ウチのオフィスがある品川区五反田。(^u^)オフィス街でありながら様々な風俗やラブホテルが立ち並ぶ歓楽街でもある。あの!日本ハム二岡山本モナが一夜を共にしたラブホ「ホテル ウエスト」もある。あの日以来大人気で満室が続いているらしい。(^^♪


さて、日本にはラブホテルという文化現象がある。これは日本固有のものらしい。ラブホテルは、その名称が1970年前後に登場していらい、日本固有の風景を構成する要素として存在している。ラブホテルとは、そこで行われる行為が限定されているハコモノである。この本は、そのラブホの変遷、歴史から周辺の人達をまとめたもの。こういうウラの世界も知っておいてもいいかも。そのエッセンスを紹介しよう。


「おひるねラッコ」「もしもしピエロ」「うさぎのみみ」「すずめの学校」「やんちゃな子猫」「きしゃぽっぽ」「おとぼけビーバー姫路」「ペンギン村」「ねこのきまぐれ」「おしゃべりダック」「ぶたぶた子ぶた」「べんきょう部屋」…読者のみなさんは、これらの言葉から何を連想されるだろうか。

さらに続けると、ビバリーヒルズの白い家」「プロヴァンスの街に」「ハーフムーンが笑ってる」「世界はふたり」「マドリードの街に」「カリブの詩」「Hotel Fairy 妖精が忘れた緑の時間」「というわけで」「シャルルペローの白いホテル」 …。言うまでもなく、これらはラブホテルの名称である。


実際に、京都、大阪、神戸などの関西地区のラブホテルを回っているちに目に付いたものを挙げてみた。関東圏ではあまり見ないネーミングであり、その言葉がイメージさせるものとラブホテルとう場所のイメージのズレに驚いた経験がある。これらのネーミングは1990年代半ば、できるだけ宣伝費をかけずに集客率を上げるために考えられたものだという。これらの無意味なフレーズはそれはそれで人目を引いて、一つの宣伝効果を上げているといえよう。


・「ラブホテル」、「ラブ・ホテル」という名前が発祥したのは、1970年代、大阪万博前後定着したらしい。

異色ホテル(「アサヒ芸能」1967年8月13日号)
仕掛けホテル(「週刊大衆」1968年11月14号)
同伴ホテル(「週刊文春」1967年3月10日号)
ラブホテル(「ヤングレディ」1973年3月10日号)
連れ込みホテル(「週刊新潮」1973年4月12号」
ラブホテル(「週刊女性」1973年4月14日号)
ラブ・ホテル(「週刊大衆」1973年5月3日号)


・ラブホテルという名前が一般化したのは、「目黒エンペラー」の営業と同時期であるが、それまで流通していた「連れ込み」「アベックホテル」といった言葉も使われていたようだ。1980年代になるとウブティックホテルファッションホテルという言葉が使われ始めるようになる。ブティックホテルという名前を使ったのは、田中康夫らしい


・ラブホテルの設計・施工・経営コンサルタントとして活躍した亜美伊新。マイナーな産業でもあった「連れ込み」業界を「ラブホテル」産業に押し上げた功労者でもある。


ラブホテルの総合プロデューサー 亜美伊 新
http://www.ami-shin.com/


その他、「ラブホテル建築反対運動」、「貸間産業の変遷」、「オールナイトな遊び場」「アダルトビデオによる学習」などは風俗史、文化史としても読みごたえたっぷり。おススメです。(^^♪