「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『松下幸之助 運をひらく言葉』(谷口全平)

このブログは私の個人のものだけど、ウチ(SA)の会社のブログにも書いています。読んでね。
毎週火曜日が私の担当です。(^v^)


SAトレーナーブログ  小野塚:「アル」「ナイ」論

http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/52175803.html



松下幸之助 運をひらく言葉 (PHP文庫)

松下幸之助 運をひらく言葉 (PHP文庫)

ここでも何度も紹介している経営の神様・松下幸之助氏。(^u^) 読むたびに心新たな気分になる。さすが幸之助さん!すごいわ!


BOOK〜松下幸之助エピソード集…『感動の経営 ちょっといい話』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20110422

BOOK〜松下幸之助エピソード集…『人を見る眼 仕事を見る眼』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20110419


氏は、九歳で大阪船場の奉公に出、十五歳で大阪電灯株式会社(関西電力の前身)に就職、二十歳のころに肺尖カタルにかかる。また父母や七人いた兄姉も若くして次々となくなり、二十六歳のときには天涯孤独になった。大正六年、独立して事業を始めたときには、お金も、知識も。身寄りもなく、健康もすぐれないという状況にあった。そのことを考えれば誰もが「なぜ事業を大きく育てることができたのだろうか」と思っても不思議ではありません。目に見える成功要因が何もなかった!ということは、目に見えない要因、つまりものの見方や熱意、誠意といった今流でいればソフトによって成功をもたらしたといっても考えてもいいのではないか。その氏の生涯を数々のエピソードを辿りながら珠玉の言葉を並べたのがこの本。文庫なので読みやすい。そのエッセンスを紹介しよう。


・だいたいにおいては、やはり成功するまでやめないというくらいの志をもってやらないと成るものも成らないということですね。ちょっとやってみて、うまくいかなかったら、簡単に“もうダメだ”というようなことでは、何をやっても成功しないでしょう。やっぱり根気よく続けなければいけない


・「転機」というものが、“物事の変わり目”という意味であるならば私にとっては、毎日が「転機」であったともいえよう。何がなしに日々の事態を迎えるというのではなくて、その事態のなかから、自分なりのヒラメキというか、一つの思いというものを感じ、それに基づいて、新たな道を切りひらく毎日ということが大事なのである。


・竹に節がなければ、風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に、流れる歳月にもやはり節がいる。ともすれば。とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回は節をつくって、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい


・塩の辛さ、砂糖の甘さは百ぺん講義を受けてもやはり分からない、本当は。しかし、なめればすぐ分かる。なめたら塩はこういうふに辛いんやなというわけです。砂糖またしかりである。そういうふうにして、やはり実際に実験してみないと分からない


・仕事というものは、昔の侍の果たし合いで、一歩劣ったら首が飛んでしまうのと一緒ですからな、早く言えば。アマチュアというものは娯楽にやるんだけれども、プロというものは真剣勝負しておるわけです。侍が真剣勝負して首が飛んでしもうて、ほなまたやり直そういということはできへんですもんな。


“何としてでも二階に上がりたい”という熱意があればハシゴというものを考えつくんです。ところが、ただ何となく、“上がってみたいな”と思うぐらいでは、そこまではいかない。“どうしても、何としてでも上がりたい自分の唯一の目的は二階に上がることだ”というくらいの熱意があった人が、ハシゴを考えついたと思うのですね。


この世の中は、本当に生きた芝居です。われわれは俳優で、主人公そのものである。いまそういう芝居をしている。そういう自分というものを考えてみると、千載一隅の好機に生まれたものやと思っていいと思うんですね。お互いが、過去何千億人の誰よりも恵まれた時代に生を得たことを喜んで、名優としての芝居をうたないかんということであります。


悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが社長の仕事である、経営者の仕事である、そういうものがなかったら経営者の生きがいがないのやと、こういうように考えてからだいぶ楽になったですよ。いまは悩むために自分は存在しているんやな、悩みが本業やなと、こういうような感じをもつようになったんです。


心して見るならば、感動を与えられるような場面がいたるところにあるんだ。一日に何回と言わず、一年に何回といわずあるんだ。それを感動として受け取るか、感動として受け取らないかということによって、違ってくる面もあろうかと私は思うんであります。


・自分なりの体験からいくと、この世に存在する一切のものは、すべて、不要なものは一つもない。どんな悪人で、どんな毒物でも、使い方と処置の仕方によっては、全部役立つ。それをいまは悪いところだけ発見して、そしていいところまで捨ててしまうようにやっているでしょう。そうすると。使うものがだんだん少なくなってくる。そいういう傾向がありますな。


・道行く人々は全部がお得意さんであり、われわれのつくったものを買ってくださっているわけです。お互いに顔見知りでないから、道ですれ違ってもものは申しませんが、知っておったら、「毎度ありがとうございます」と頭を下げなければならないとことであります。そういう人ばかりなのであります。


ん…いいなあ!特に、『悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが社長の仕事である、経営者の仕事である』は、響きまくるなあ…。オススメです!(^u^)