
この本の初版が、1982年かあ!所有したのに、引っ越しのドタバタでどこかへ行ってしまった。18歳のときだあ!この頃は、ばくぜんと本屋になりたいと思っていた時だったんだろうなあ。この頃は、「からっぽの世界」しか知らなかったけど、遡って、ジャックスと早川義夫にドはまりすることになるっ!!!
さてこの本。本屋さんの事情は変わっているだろうなあ。あの頃を思い出して再読しました。文庫のための増補ページも、またいい。そのエッセンスを紹介しよう。
・僕が本屋を経営していたのは二十二年間。やめて再び歌を歌い出してから、もう二十年になる。遠回りをしてしまったような気もするが、不器用ながらも、その時その時、精一杯やってきたつもりだから、悔いはない。もしも、本屋を体験していなかったら、今の僕はない。普通であることの素晴らしさ、感動は決して芸術の中だけにあるのではないということを学ぶこと ができたからだ。
・ちょうど、酒屋の主人がのんべえでないように、こうして本屋をやっていると、本を読む時間もないし、また、読む時間があっても、もう読む気が起こらなくなり、 このところゆっくり読んだためしがない。今は読むというより目を通すだけで、それも、 まるで違うもの、出版社や取次から送られてくる注文書や、一日100点といわれる新刊の背文字と色具合を、それに新聞ならば広告欄のみを、サーッと眼にやきつけていくだけで、あとはまずしい記憶力だけをたよりに、毎日、整理整理にあけくれている。
・実際、本屋をはじめる前に夢に描いたことは、店は小さく、たばこ屋兼本屋みたいな、できれば、好きな本だけを集めたような、あまり売れなくてもいいような、猫でも抱いて一日中坐っていれば、毎日が過ぎていくような、そんなのどかなことを考えていた 。ところが、思っていたことと実際は随分違う。本屋というのは、売れなければ、欲しい本が回ってこないいしくみなのだ・
・こういう品揃えをしたいとかこの分野だけは完璧に揃えたいと思っても、それがすぐには不可能となると、猫を抱いているわけにはいきません。 たとえば、角川文庫の売上げスリップ(本の間に挟まれている短冊の半券)を、一年間に、何枚角川に送ったかによって角川が書店のランクづけをし、新刊配本の部数を決め、取次はこの場合それを運送しているだけにすぎず、ですから、白状すると、 角川文庫の新刊が発売日と同時にくるようになったのは、うちの場合開店してから二年後でありますし、今もなお十分な冊数はきてない のです。そんなわけで、たぶん、どこの商売も同じだろうと思うけれど、すべてが実績やら力関係によって商品が動くので甘い夢はいとも簡単にやぶれたわけです。
・毎日、送られてくる本の中に、あ、この本がない、 この本がない、とない本を発見した時の怒り、怒りが収まると、今度はだんだん元気がなくなってくる気持ち、情けなくなってきま す。情けなくなるのがいやだから、今度は、全国書店で発売中という広告を、あまり見ない。お客さんがこの本を聞きにこなければいいなあと思う。こんなことでいいのだろうか。
・発売前に注文を出す。うちで一冊確実に売れるとわかっていても、 発売日と同時には入ってこない。いくら実績がなくとも、いくら新潮社にうちが貢献してなくとも、 一冊注文を出したのだから寄越せばいいじゃないかと誰でも思うでしょう。まともに考えればおかしいと思う。何日か遅れて、どうせ注文分がくるのなら、はじめから寄越せばいいじゃないかと思うのが普通である。くればいいけれど、くるのかこないのか当てもないわけだから、書店が、大書店に本を買いに行くことになる。 こんなバカなことがあるだろうか。一冊の本のために、一人のお客さんを逃さないため書店が書店に買いに行く。問屋に仕入れに行く経費や時間よりも、ありそうな書店に買いに行った方が、早いし確実なのだ。問屋よりも大書店の方が、いわば、あるわけである。
・NHKのテキスト類には、僕は非常に頭にきていて、だいたい、NHKが受信料と引きかえに各家庭に無料で配ればいいのだ と思いたくなるほど、悩まされている。 きっと、お客さんも無意識にそう思っているから、求める本の題名を覚えることができないのではないだろうか。「テキストちょうだい」では本は出せないし、先生の名前や時間帯を毎回幾人もの人とやりとりするのは、本来、おかしい出来事である。雑誌の定期改正用紙には、予約の欄と申込欄がある。たとえば、『ソノテキスト続・基礎英語』を四月号より、予約数一、申込数(店出し用として二冊をプラスして)三と申し込むとする。ところが、発売日になっても、なぜか、一冊も来ない。あわてて、取次に問い合わせる。すると、「あっ、そうですか」という返事。または、「絶対数が少ないので、まわらなかったのです」という返事。
・僕は、いやらしい本が好きだった。本を好きになったきっかけも、そのせいがたぶんにある。だから昔、うちの店で「あなたが本を好きになったきっかけは何ですか?」というアンケートをした時に、僕は期待したのだ。ところが、誰ひとりとして 「いやらしい本に感動をおぼえたから」というような回答をくれた方はいなかった。 それはまるで、みんなにはたくさんの女友だちがいて、僕にはいないような寂しさであった。僕の言ういやらしい本とは、もしかしたら、あなたが考えているいやらしい本とは違うかも知れない。しかし、あなたの考えているいやらしい本も、きっと僕は好きであり、そのくらい広い範囲で好きなのだ。もちろん、いやらしい本にも一流と五流がある。しかし、芸術とか猥褻とかいう判断ではない。どちらがいやらしさにすぐれているか、ということである。
・この世の中で一番いやらしいことはなんであろうか、と時々考える。いやらしいもを見に行っても、いやらしいことをしに行っても、たいして、いやらしくないからである。もっと、いやらしいものが他にあるのではないだろうかと思ってしまう。それは、裸になるべきところで裸になっていただけのことだからだ。
・幸いいいお客さんに恵まれ、気さくな本屋仲間ともめぐり逢い、本屋は楽しかったが、このまま終わっていいのだろうかと思った。もしも、このまま死んでしまったら、 自分の身体はちゃんと燃えないのではないか と思った。かつて、音楽を中途半端な状態でやめてしまったという、気持ち悪さがあったからだ。
何かやり残していることがあるような、自分が何者なのかを知りたくなったのだ。 笑われてもかまわない。これから下り坂という時に、今度は若い頃に戻りたくなって しまったのである。
・恋をした。僕は再び歌を作るようになった。ブランクとか技術とか才能は関係ない。下手だっていい。伝えたいことと、伝えたい人がいれば、 歌は生まれて来るのだ。もしも、歌いたいことがなければ、歌わないことが、歌っていることなのだ。僕は「歌わなかった二十数年間、実は歌っていたんだね」 と思われるように、歌を歌いたかった。
復活後の最初の仕事はBSテレビの収録だった。僕は緊張のあまり、何度もトチッてしまった。逃げ出したくなるほど恥ずかしかった。ところが、その時、ディレクターから「早川さん、全然おかしくありませんから、僕はこの歌が好きになって、何度も聴けて幸せだと思っているくらいですから。途中でやめてもいいですし、プロとして最後まで歌ってもいいですし、時間はいくらでもありますから」 と勇気づけられた。僕は下を向きながら、ああ、僕の求めている場所はここなのだ、と思った。この綱の上を歩いて行けば、そこに、たどりつけるような気がした。本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうごさいます」の世界には、 そんな感動はなかったからだ。
・しかし、それはとんでもない間違いであった。閉店の日、僕は泣いてばかりいた。 棚を見ているだけで、涙がこぼれて来た。これまでに、一度も喋ったことのないお客さんからも「寂しい」と言われたり、「残念です」とか「元気でね」と声をかけられた。花束や手紙をもらった。いつもよりずっと長くいて、棚をひとつひとつ丁寧に見て回る人もいた。何も語らず、たくさん本を買っていく人もいた。本屋での「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の世界にも感動はあったのだ。小説や映画やステージの上だけに感動があるのではない。こうした何でもない日常の世界に、それは、目に見えないくらいの小さな感動なのだが、 毎日積み重なっていたのだということを僕は閉店の日にお客さんから学んだ。 このことは一生忘れない。なにも歌を作ったり、人前で歌ったりすることが素晴らしいことでも、ましてや、かっこいいわけでもない。日常で歌が歌えていれば、それに越したことはない。日常をいきいきと暮らし、毎日が幸せなら、わざわざ歌を作って歌う必要がない。寂しいから歌うのだ。悲しいから歌うのだ。何かが欠けているから歌うのだ。精神が普通であれば、ちっともおかしくなければ、叫ぶ必要も心もあらわにする必要も楽器を震わせる必要もない。歌わざるをえないから歌うのだ。
・瀬戸内寂聴の「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」という言葉を思い出した。嫌だなと思った人のことを、もしかしたら、観音様なのかも知れない と思えば、嫌でなくなるというのだ。悟ったわけではないけれど、人を観音様だと思うことは、自分が観音様になれる道なのではないだろうか。
・最近、思ったこと。すべての過去は、あれで良かったのだ と思うようになった。数々の失敗も、出会いも別れも、その道を選んだのも、 あの道を選ばなかったのも、 すべてあれで良かったのだと思うようになった。もちろん、あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはあるけれど、そして今、特別幸せなわけではないけれど、今の僕があるのは、 僕の過去のおかげなのだ。
・いいものは、うるさくない。月や太陽のように黙っている。もう二度と会えぬ人たちも黙っている。 耳を澄ませば聴こえて来るかも知れないけれど。考えてみれば、僕たちの心やたましいは、いつだって黙っている。本のように、黙っている。
いいなあ。早川義夫の歌は、一人で歌いたいなあ。だってみんな知らないから。(笑)響きまくりっ!オススメです。(=^・^=)

