「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「トヨタ物語」(野地秩嘉)

いいなあ。野地秩嘉さんが書くトヨタの本。当然、ひと味もふた味も違うっ!!!メーカーの本でもない。生産性の本でも、ムダをなくす効率化の本でもない。人間力の本だねっ!!!(=^・^=)

 

「ジャスト・イン・タイム」や「カイゼン」が世界中で通用しているのは、
「自分で考え、動く」人間をトヨタが育ててきたからだ。自分で課題を見つけ、考え、それを乗り越え、今日を否定し、より質の高いモノ作りを目指して、たゆまず進化し続ける「現場」。こうした人々が、トヨタの強さの根幹をなしている。そして進化する現場を育てる力こそ、同社が長い歴史の中で紡ぎ出した、最強のシステムなのである。

「最初から答えを与えてはいかん。考えさせる。考える作業者を作るんだ」(豊田英二)
「悪いのは作業者じゃない。働き方を教えていない管理者の方だ」(大野耐一)
「トヨタ生産方式とは、考える人間を作るシステムです」(米ケンタッキー工場幹部)
トヨタの現場は、ドリームチームではない。無名の選手が、それぞれのポジションで素早く動き、的確にパスを重ねる。あくまでも連携に優れたチームだ。そのためには日々の鍛錬が必要だ。そのエッセンスを紹介しよう。

 

・自動車会社は世界中どこの会社であっても使っている工作機械、原材料の鉄などはほぼ同じだ。日本でもアメリカでも中国でも、また老舗メーカーでも新興メーカーでも同じような質の自動車用鋼板を使い、部品も大差はない。工作機械の能力だってそれほどの違いはない。 ところが、できあがってきた自動車の性能はまったく違うものになっている。値段にも差ができる。
 
では、製品の違いを生むものは何かといえば、それは生産方式だ。 フォードの場合は大量生産、流れ作業方式を採用。トヨタの場合は独自のトヨタ生産方式(TPS)を開発し、その方式にのっとって車を作っている。
 
TPSを通じてカイゼンを行い、結果として他社より生産性を上げている。生産性が上がった結果、 製造原価が下がる。そのため製品の販売価格も下げることが可能になる。トヨタ製の車が売れるのは他社製と比較してお得だからだろう。 トヨタの競争力の根源は生産方式にあると言っていい。
 
これまで同方式は中間在庫をなくすシステム、ムダを削減するシステム、生産ラインに必要な部品を必要な時に必要なだけ届けるシステムと説明されてきた。その説明が間違っているとは言わない。しかし、足りない部分があった。何か。
 
それは現場の労働者から見た同方式の評価だ。生産性が向上したということを体感するのは開発者たちではない。毎日、現場で働く作業者である。 
 
それならば、現場の人に聞こう。わたしはそうすることにした。もっともいいのは、長く現場で働いていた人がトヨタ生産方式の導入前と後で、何が変わったのかを語ってくれることだ。そうすれば、方式の意義がわかる。
 
トヨタ生産方式は何を変えたのか。どうして長く続いているのか。もっと言えば、それほど優れた方式ならば自分の仕事にも取り入れたい。原稿を書くのと自動車を作ることは違う。けれども、どちらも同じモノ作りである。何かしら取り入れる点はあるはずだ。
 
大野耐一は「アメリカ人に真似されたら、トヨタはつぶれる」という危機感を抱いていた。しかし、実際にはアメリカのビッグ3は当時、トヨタをはじめ日本の自動車会社など相手にしていなかった。自分たちがやっていた大量生産方式がナンバーワンだと思っていたから、トヨタ生産方式のことなど眼中になかったのである。
 
しかし、いまは違う。アメリカに進出した日本の自動車会社だけでなく、世界中の自動車会社、関連メーカー、その他のメーカーは同方式を採用しているか、もしくはアレンジしている。フォード・システムに代わって世界を席巻している。直接、トヨタが同方式を移植した企業だけでもキヤノン、ソニーロッテ、帝人、ダイキン工業をはじめとして100社以上。中国でもファーウェイをはじめとして数十社はある。トヨタ生産方式を指導する経営コンサルタント会社だけでもいくつもある。彼らが支援した企業を含めると世界中で数百社は同方式で製品を生産している。
 
 
・「いいですか。目で見てわかるように教えるのです。現場の技術を数値化して、いつでも再現できるようにする。トヨタではそのために専用の機械を開発したりはしません。そうして、お金を節約するのです。世界中、どこでも安く売っているキッチンスケールを用いることが重要なのです。これがムダの追放であり、カイゼンなのです」
 
師範はそこまで説明してからつけ加えた。「オーノさんは新しい機械を導入さえすれば効率がよくなるという考え方がとても嫌いでした」
 
「専用の機械を使うことは、他人にものを考えてもらうことです。それではいけません。現場のチームメンバーが自分で考えることが大切なんです。ですからキッチンスケールを使う。専門の機械と専門の人間だけがカイゼンを担当するのではありません。わたしたちひとりひとりが自分の頭で考えるのです。オーノさんはそれをしつこく張さんに教えました」
 
・張さんとはトヨタ自動車元名誉会長、張富士夫のことだ。張は1988年、ケンタッキー法人の社長として赴任し、トヨタのモノ作り精神を現地に根づかせた。張の役目はそれだけではなかった。チームメンバーや現地の人々と付き合うこともまた仕事だった。
 
しかし、私たちはトヨタ生産方式しかできない。それを根づかせるしかなかった。
 
「ケンタッキーに来てチームメンバーを募集したら3000人のところに何万人かの応募がありました。
 
ほとんどが未経験者です。学校の先生とかハンバーガーチェーンで働いていたとか……。しかし、未経験の人たちにトヨタ生産方式を説明したら、みなさん合理的な生産方式だと納得してくれました。彼らがもっとも喜んだのはカイゼンという手法でした。『カイゼンはみんなでやることだ。現場のチームメンバーがアイデアを出すことだ』
 
・「トヨタ生産方式とは考える人間を作るシステムです」と付け足した。
 
「考えることを楽しいと思う作業者には向いている。現場でカイゼンできることはアメリカの作業者にはなかった経験だから。
 
・豊田喜一郎は、アメリカに負けない国産車を作ることを志したが、戦争によって中断を余儀なくされる。しかし、喜一郎は挫けず、戦後、「3年でアメリカに追いつけ」と取締役の豊田英二に命じた。英二は機械工場長の大野耐一を呼び、新しい生産システムの開発に取り組んだ。
 
彼らは必死だった。アメリカの自動車会社が日本に進出してきたら、ちっぽけなトヨタなど粉砕されてしまうと考えていたからだ。彼らはアメリカに追いつくために生産性を向上しなくてはならなかった。 そのためにフォード・システムではなく、トヨタ生産方式を作り上げ、社内の現場、協力会社に導入した。
 
・終戦直後はアメリカの自動車会社が一日に千台つくるところをトヨタはひと月かかって、やっとその台数を作っていたのだから。自動車会社と名乗ってはいても、彼らのライバルではなかった。そういった状態からスタートして、トヨタはいまや世界ナンバーワンの生産実績をあげるようになった。その背後にあるのがトヨタ生産方式で、いまでは世界中の工場、協力会社で採用されている。クルマそれ自体はどんな新型車でも時間が経てば古くなる。しかし、人間が考えたシステムは国境も時間も越える。
 
・豊田喜一郎は国産乗用車の生産を決意し、トヨタ自動車を作った。本来ならばもっと称賛されてもいいのだろうけれど、父親で発明家、豊田佐吉に比べると過小評価されている。おそらくは晩年、労働争議の責任を取って社長を辞任したこと、働き盛りの57歳で亡くなったことが彼の業績を忘れさせてしまったのだろう。
しかし、彼がいなければトヨタ自動車はなかった。日本の自動車産業はここまで成長しなかった。戦前、喜一郎は周囲の反対を押し切って、三井三菱という大財閥も二の足を踏んだ乗用車の生産を実行に移している。
 
同業の日産自動車は創業当初は横浜、後に東京に本社を構えた。官公庁とも近く、また経営者で日産コンツェルンの総帥、鮎川義介は政府に対して働きかける力を持っていた。そのため、国からの援助を引き出すこともできた。一方、喜一郎は本体である豊田自動織機から資金を引き出して、自動車という金食い虫につぎ込んだ。
 
・いまの日本のモノ作りの元祖は喜一郎だ。もうひとりの革命家、大野耐一もまた世間には知られていない。喜一郎が考え出した「ジャスト・イン・タイム」と佐吉が考え出した「自働化」の思想をトヨタ生産方式として体系化して、社内だけでなく、世界のモノ作りの現場に影響を与えた。
 
・「大野が作り上げたトヨタ生産方式は20世紀における一大発明だ」
 
・「私はムダな時間がもったいないと思っている。働くときは働いて、あとはうちに帰ればいい。ずっと工場にいなくていい。勤勉をよそおうことはない。私は日本人が勤勉というのは正しくないと思っている。日本人がやっている現場労働はムダでいっぱいだ。日本人労働者は自分がいかに勤勉かというアピールをする。しかし、働いているように見せかけるくらいならば、楽しみながら働けばいいではないか」
 
 
・佐吉は自動織機に関して発明王と言われている。しかし、彼の真髄は織機のスピードを上げたことではなく、不具合が起こった瞬間に機械を止める装置を考えたことだった。
 
人間が監視していなくとも機械自体が不具合を感知して運転を停止すれば不良品はできない。佐吉は性能の向上よりも、不良品が出ることを防ぎたかった。こういった視点で機械を見つめた発明家はいない。たいていの人間はスピードと出力のアップが能力の向上と思い込む。しかし、彼は結果として数量が増えることが生産性を上げることだと考えた。不良品は廃棄しなくてはならないし、せっかく働いた労働者も徒労感に襲われる。不良品が知らないうちに販売され、マーケットに出て行ったら、消費者は怒るし、会社の信用も落ちる。
 
佐吉は能力の向上よりも機械が人間並みに不良品を感知することを求めたのである。 トヨタ生産方式の考え方もそうだ。労働者に「早く手を動かせ」などと言ったことは一度もない。ラインを止めてもいいから、その分、不良品を出すなと言っている。 佐吉にせよ、喜一郎にせよ、大野にせよ、機械だけを見ていたのではない。工場にいる労働者と商品を買う消費者を頭に置いていた。消費者がほしいモノとは第一に故障しないクルマなのだから。
 
その他「豊田家の歴史」「国産自動車をつくったのは豊田親子と木綿だった!?」「豊田佐吉の自動織機」「なぜ繊維機械の会社が自動車製造に乗り出したのか?」「豊田喜一郎の夢〜日本製の乗用車を日本の道路に走らせること」など。
 
はあ〜〜!!!トヨタのスゴさが、伝わってくる。なんて人間的な会社なんだろう!!!分厚いけ452ページ、一気読み。超オススメです。(=^・^=)