「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「名著の話 芭蕉も僕も盛っている」(伊集院光)

本のことを書かれた本っていいよね。リストをみるとどんどん読みたい本を増えて2500冊くらいあるんじゃないかな!?生きているうちに読めないのが残念っ!!!( ー`дー´)キリッ

さて、この本。
NHK「100分de名著」で出会った約100冊より、伊集院光が、心に刺さった3冊を厳選。名著をよく知る3人と再会し、時間無制限で新たに徹底トークを繰り広げる、100分de語りきれない名著対談」そのエッセンスを紹介しよう。
 
長谷川櫂×伊集院光 蛙飛びこむ宇宙空間 松尾芭蕉『おくのほそ道』】
 
「おくのほそ道」は今から三〇〇年あまり前、松尾芭蕉が東国を巡った旅をもとに書いた文章です。原稿用紙にすれば三十数枚の短いものですが、今や『源氏物語とともに日本を代表する世界文学の傑作と評価されています。それは『おくのほそ道』が単に旅を記録した紀行文ではなく、人間は時間の猛威の中でどう生きればいいか」という、誰にとっても切実な問題をテーマに芭蕉が書き上げた芳醇な文学作品だからです。
 
この旅の三年前、芭蕉は名吟〈古池や蛙飛こむ水のおと〉を詠んで俳句の世界に一大革命を起こしました。この句は俗にいわれる「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」という単なる現実描写の句ではなく、蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池が広がった」という心の世界を表した句です。この句によって長い間、言葉遊びやダジャレにすぎなかった俳句が心の世界を詠む文学に生まれ変わりました。
 
この古池の句で切り開いた心の世界を、東国を舞台にして思う存分展開したのが『おくのほそ道』です。芭蕉は明快なテーマと構成を用意してこれに臨みました。書き出しの有名な一文「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は、今風にいえば時間は永遠の旅人(百代の過客)である」ということです。つまり時間こそが『おくのほそ道」の最大のテーマなのです。芭蕉にとって旅とは永遠に流れつづける時間の象徴でした。
 
思えば宇宙のすべては時間とともに無から生まれ、時間とともに無へ消え去ってゆきます。それに伴って人間の世界では時間とともに誕生と死、出会いと別れが繰り返されます。 それはこの世界に人間として生まれた以上、逃れられない宿命ですこの変転極まりない虚しい人生をどう生きるか。これが芭蕉が生涯問いつづけた大問題でした。
 
・俳句を嗜んだことのない僕は、この句の何がすごいのかがわかりませんでした。そこで、先生から教えてもらったキーワードが、「古池に」ではないでした。
 
この言葉は強烈でした。普通は、古池に蛙が飛びこんで水の音がしたんでしょ、としか思わない。言い訳するわけじゃないけど、僕だけでなくほとんどの人がそういうふうに思うんじゃないですかね。この句が詠まれた場にいた弟子が、誕生のいきさつを書き残しています。それによると、まず庵の外から、鮭が水に飛びこむ音が聞こえてくるんですね。
 
そこで芭蕉は「蛙飛こむ水のおと」と詠んだ。それからしばらくの間、上に何とかぶせたらいいか、考えるんですよ。
 
それでやっと「古池や」と置いたんです。つまり、芭蕉は古池を見ているわけでもないし、どこにあるか知っているわけでもない。音を聞いて、自分で心の中に風景を思い浮かべたわけです。
 
僕自身、どんなに高性能のカメラができても、話芸は勝つって思いたいんです。カメラでは撮ったそのまま、映ったそのまましか伝わらない。人間の目の能力を超えたカメラは、見た以上を映すかもしれないけど、空気感? 雰囲気は、なくなっている。?
 
・俳句の世界では、たしかに江戸時代ぐらいまで、見えないものを言葉で写すということを普通にやっていたと思うんですね。
 
ところが明治になって、正岡子規という人が出てきて、俳句は目に見えないものを詠んではいけない、ちゃんと目に見えるものを描けという写実主義を唱えたそのために、 言葉になっているのは全部目に見えるものだという、ひとつのフィクションができあがったんです。 
 
芭蕉は一七世紀後半の人で、その少し前まで戦国時代です。戦国時代に日本の文化はほとんど破壊されてしまった芭蕉には、破壊されてしまった王朝時代や中世の文化を、もう一回、江戸時代という新しい時代の中で復活させたいという思いがあったんです。これが芭蕉の一つの原動力でした。しかし、和歌をやったのでは以前と一緒になってしまう。だから俳句という新しい器の中で、昔の文化を蘇らせようとしたわけです。創造的復興です。
 
 
・夏草や兵(つわもの)だけが夢のあと
 
伊集院「古池」でピンと来ない人でも、こでピンと来ない人でも、この句を読めば芭蕉の革命性がたちどころにわかるのではないでしょうか。
 
同じ場所に立ったとしても僕の感性では、一面夏草が生えているなあ、荒川土手みたいだなあ、程度しか感じとれません。それを芭蕉十七字で時空を超えて、以前そこで壮絶な戦いがあったことまで伝えているこの時空の超え方がすごい
 
 
・京にても京なつかしやほととぎす
 
 ホトトギスの声を聞くと、京にいても昔の京が懐かしい。この句では、「京」がいまの京と、源氏物語などに描かれた昔の京、その異なる次元の意味で使われているんです。ここでも、「ほととぎす」という現実の鳥の声によって、京にても京なつかしや」という心の世界が開かれているわけです。この句のように、芭蕉の場合は、現実の鳥や虫の声が心の世界を開くきっかけになることが多いんです。
 

ダニエル・デフォー『ペストの記憶』「コッローディピノッキオの冒険』まだた取り次ぐ前に感動してページが進まなくなってしまった!♪(笑)
 
深いなあ……ワタシの「流し」でも、「心の旅」をしているのかも!?オススメです。(^^)