「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「にっぽんやっぱり虫の眼で見たい」(毛丹青)

 

あっという間に大晦日です。今年もいっぱいステキな本に出会いました。だから読書はやめられないっ!!!

 

さて、昨日、ご紹介した本の中の毛丹青(マオタンチン)さん。

lp6ac4.hatenablog.com

 
さっそくご著書を読んでみました!それがこの本。
 
中国で学者の道を歩んできた著者が出会った「日常の日本」。記憶に残る風景の数々、人とのめぐり合い、日頃心に留めたささやかな事柄を細やかな視点で描いた、「にっぽん虫の眼紀行」に続くエッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・日本といえば、なぜかさしみのイメージが湧いてくる。さしみを食べられるようになるかどうか、初めて日本にやって来た中国人にとって、これはちょっとした問題だ。とりわけ、なんの心の準備もできていないときに突然、さしみを召しあがれ と言われれば、おそらく箸をのばすのをためらうだろう。
 
・すくなくとも、私個人の例からすると、さしみを食べられるようになったのはある経験をしてからだ。さしみを食べられるかどうかというのは胃袋が消化できるかどうかとはまた別問題であ って、ゴムのように感じていた塊を噛んだつもりが、ふっとなにか違うように感じたとき、その ときにはじめてさしみの味覚の価値が生まれるといってもいい。いうまでもなく、日本料理にさしみは欠かせない。
 
・中国人なら、最初のうちは日本料理なんてまったく見かけだおしだと思うかもしれない。量が少なすぎて腹がぐうぐう鳴るほどだ。しばらく経つと胃袋が縮んで、なんとか我慢できるようになる。そうなってはじめて日本料理の盛り付けに目がいく。おや、こんなに色鮮やかだったっけ。油っけも光沢もなく、郷里の先祖へのお供えもののように綺麗だが、汁気がなく、腹をぺこぺこに空かせた者にとっては食欲を存分に満足させるような芳しいメニューとは言いがたい。しかしとても繊細で、まずある程度の理解力と鑑賞力を要求される。そしてこれらの能力がカギだと言ってもいい。
 
・私も例外ではなく、最初はさっぱり要領が分からず、ある程度の時間をかけてようやく慣れてきた。日本料理を食べ慣れただけでなく、鑑賞のほうも会得した。たとえば、鮮魚が一皿運ばれてきたとしよう。まだ酔いが回っておらず頭がしゃっきりしてさえいればの話だが、今ではその魚が活け締めか野絞めか見分けられると自負している。
 
・漁師は笑いながら大声で言った「このさしみうまいなぁ。なぁ美味いと思わんかね」
 
「こいつら魚は一生、飛びてぇ飛びてぇと思ってるだべさ。天国まで飛んでいきたいてなあ。天国って、分かるだべか?」私は首を横に振って、分からないと身振りで示した。彼は笑いで乱れた息を整えてから教えてくれた。
 
「人のハラんなかが魚の天国ってわけだべさ」
 
そして真顔になって、海から跳びあがった魚にむかって静かに手を合わせた。不思議なことに、それ以来、私はさしみが好きになった。
 
・私はやはりドラゴンより虫の眼が好きである。虫は光のあるところに這う。光があれば、小さな真実を見落とさない。「日常の日本」と出会ったことは、中国で学者の道を歩んできた私にとって、閉ざされた象牙の塔から無限の可能性に解き放たれたような気持ちであった。
 
・日本人論には表情が要る。臨場感をかきたてるように、微に入り細を穿った描写こそが求められるべきである。仮にそこでの理解が完全に個人の私的な印象に基づいていたとしても。
 
・日本は私にとって、異国には違いないのだが、いまの私にとっての現実そのものであり、また日常の生活でもある。前著に続き、本書も同じく虫の眼で日本を見つめた。読者のみなさまには、 これを私個人の日本紀行とお読みいただけることを願いつつ。
 
 
すごいね。日本人でも歎異抄についての本を百冊ぐらい読んだヒトもいないだろうね。来年もよろしくお願いします。良いお年を!!!!