430ページを超える長編。おもしろすぎて一気に読みました!重かった!(笑)幕末に国禁を犯してまで薩摩から英国に留学した若者がいたなんて、知らなかった!!!あの時代の情熱が、国を背負って立つ心意気が伝わってくる!!!
・「ひゃあ。こいはまあ、臭かもんじゃったなあ、堀どん、 こいはなんの肉やろか」「牛の肉です。 イギリスではごく普通に食べます」 牛などというものは農耕のために飼うもので、 まさか食べるという感覚は彼らにはなかったからである。 ちょうど私たちにとって犬を食うとか芋虫を食うというようなこと にも喩えられそうな、一種独特の悪食感覚であった。
・「こん、白かもんんは、なんじゃろか」「マッシュ! とても美味しいですね」「マッシュとはなんじゃろかな」新納( 刑部・石垣鋭之助)がおっとり尋ねると、これには松木(弘安・ 出水泉蔵)が答える。「ジャガタラ芋、漢名を馬鈴薯。 またはオランダ芋ともナンキン芋とも申す芋をば、茹でて、 牛の乳やら、 また牛の乳より精製しもしたバタと申す油脂やらで和えたもんちゅ うこっじゃっど」そのころ、 ジャガイモはまだ日本のごく一部で栽培されていたにとどまり、 特に薩摩では甘藷(かんしょ・サツマイモ) こそ盛大に栽培されていたがジャガイモは一般化していなかった。 「うへえ、芋はまだしも、牛の乳と牛の乳の油やっとな。 こりゃまっこて臭くてたまらん、たまらん」
・そもそもこのスチューデント秘密留学の儀が実現したのも、 五代才助が小松帯刀を通じて藩庁に差し出したーそしてその斡旋に ついては大久保一蔵(後の大久保利通) の関与もあったらしいのだがー「上申書」 というものによるところが大きかったのである。それでなくては、 薩英戦争で疲弊した藩の財政では、 とてもこれほど大規模な留学計画は実施に移されなかったに違いな い。(運賃や滞在費だけで少なくとも七万両=今のお金で五億〜 十億)。 それだけの巨費を投じても若き俊秀たちをイギリスに送って一刻も 早くこの国を西欧化しなくてはならない、 五代も小松に率いれた藩庁も思い詰めていた。
・「西洋の国力というものは恐ろしいもんやなあ。自分などはまさに井蛙(せいあ)、なにも知らんで刀一本で気力さえあれば攘夷なんか容易に成るものと思っておっちゅうが…」
勇気づけられるなあ。未知の世界に飛び込んでいくってスゴイねー。甘えてられないねー!オススメです!(・∀・)