「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「まぼろしの邪馬台国」(宮崎康平)

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著者の宮崎康平さんのことはまっさん(さだまさしの本やトークで聞いていた。あれから数十年、ようやく読むことができました。すごいっ!グイグイ惹き込まれる!邪馬台国の正体はこれだったのかー!!!

 

「本書は考えようでは、妻とともに手さぐりで生き抜いた私の生活記録である」。失明した著者が本書の冒頭でこう書いていたように邪馬台国はどこか」を探るため、妻・和子に古文書を読んでもらい、筆記してもらい、ともに研究に現地調査に赴いた。妻の声を「聞く」ことによって、魏志倭人伝などを解析した一人の非凡な日本人の生活記録でもあるのだ。第1回吉川英治文化賞受賞作」
 
・もともと記紀が編纂されたころまでは、日本にはまだ文字がなかった時代である。ところが万葉仮名で書き留められていたはずの帝紀旧辞の内容が、書紀や古事記の編纂に当たって、部分的に表意文字に書き改められている。そのため内容がまちがって解釈されているのではなかろうか私は記紀の文章は本質的には表音文字としてあつかうべきものだと考えたのである。
 
・つまり目が見える人には記紀は1200年のへだたりがある。失明したいまの私は、どんなにおがいても自ら読むことができない。もとより、点字古事記魏志倭人伝があるわけはない。読んでもらって耳で聞く。音(おん)に頼るほかはないのである。だた耳で聞いて覚えるということは、稗田阿礼とも対座できるということなのだ。そうだ、失明は古代のナゾを解くために、天が私に与えた試練ではなかったのか。と考えたとき「邪馬臺国」の四字は、ふたたび太陽のように暗黒の私の視界に輝きはじめた。
 
記紀文中の文字には、音だけとればことたりる、文字の意味にはなんら関係のない漢字が、わざと読者にまちがって解釈されるように、ある目的のためにたくみに意味を含ませて用いられた個所が多いそのため、記紀の大半の内容が誤解され、特に神話の中でも重要な位置を占める豊葦原水(瑞)穂国と葦原中国(あしはらのなかつくに)までが混同された、邪馬台国分裂後における古代の荷台王朝対立の歴史が抹殺されていのである。
 
「古代史とバナナ」「米栽培の二つの流れ」「押潮(おうちょう)感慨法とクマ農業」「日の意味は太陽ではない」「武器としての三種の神器」「生きていた古代の集落」「天に向って造られた前方後円墳など。
 
これは、鈍行電車で旅でもしながらゆっくりじっくり繰り返して読む本だね。超オススメです!(・∀・)

 

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