「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「証言構成OHの肖像 大伴昌司とその時代」(竹内博編)

 


証言構成 OHの肖像―大伴昌司とその時代


小学生の頃、父が週刊少年マガジンを毎週買ってくれていた。当時130円。水曜日になると「父ちゃん、マガジン!」「おお、そうか」といって130円を渡してくれて近所の商店に買いにいく。父いわく、「マガジンはマンガだが、読んでもよい」


特に当時は巻頭の色刷りページの図解が大好きだった。そして小さく「構成:大伴昌司」と書いてあったのを今でも覚えている。


さてこの本。私と同世代以上の男子はおそらく夢中になったはずだ。「ぼくたちの原体験は、大伴昌司だった。ポップ文化の揺籃期、猛烈なスピードで時代を駈け抜けた男がいた。彼は『怪獣図鑑』というベストセラーを作り、志半ばにしてウルトラの星へ旅立った。これは「OH」というイニシアルの、早過ぎた天才編集者の英光と挫折の記録である」そのエッセンスを紹介しよう。



大伴昌司と交際のあった人たちが強く記憶していることがある。それは大伴昌司という男に対する、なんとも不可解な印象である。この男はいったい何なのか?大伴の周囲にいたいた人たちの胸には、いつもそんな思いがあったようだ。


・テレビ局に出入りするようになった大伴は、周囲にはやはり理解しがたい人物として写ったようだ。なにせ番組制作前のブレーン会議でも、自分のいいたいことだけを言ってしまうと、それでおしまい。人が何を言っても知らんぷりで、原稿用紙に落書きを始めたり、さかんに首を振ったりする。ときには、会議中に、部屋の隅のソファのところに行って寝転がってしまうこともあった。番組のリハーサルも見ようともしない。いつもスタジオをぶらぶら歩き回っていて、セットの陰で機材をいじったり、そのへんにある小道具を調査研究したりしていた。しかし見るところは見ていて、話もちゃんと聞いていた。


彼は、いろんなものを読んでいたし、映画も見てたし、テレビも見てました。そういう積み重ねの中からいろんなアイデアが出てきたんじゃないかと思います。学生の頃からアイデアマンだったし、とにかく視点がアカぬけていて、非常にポップなんですよ。それでいた伝統的なものも非常によく勉強してましたしね。


・あの人はいつもそうなんだけど、敵情視察とでもいうのか、相手が何を持ってる人間なのか、非常に知りたがるわけですよ。でも自分の手の内は絶対見せてくれないわけです。隠しすぎましたよね。それがあの人の弱さだったんじゃないか。隠すことが強さに変わると思い込んで、抑えすぎて、おかしくなっちゃった。で、ついにパンクしちゃったという気がするんですよね。人を楽しませることをやってるんだけど、自分ではあんまり楽しんでいないという感じがある。苦しんでますよね。


童心で、そのまま大きくなってしまった人だと思います。子供が持つ「なぜ」「どうして」という興味をいつまでも失わなかった人ですよ。ただしその代わり処世術に関しての大人の部分が全然身につかなかった。



・あいつは仕事となると本気になって知恵を絞るしね。それだけの蓄積もあるし、才能もある。あの頃、大伴昌司を突き動かしたものは何だったのかというと、それはやはり彼は仕事が好きだったということに尽きるんじゃないですか。とにかく、あれだけ憎まれるほど仕事をして、エネルギッシュに動く人間というのはもう、いないですよ。


ほんとに、もっともっと何かをやりたかった人なんですよ。ほんとに、そのいよいよのポイントの切り替えどきに死んじゃった。氷山みたいな人でね。水面下に隠れた才能の部分が非常に大きくて、これからいよいよその全貌を全面展開しようとしていた時期だったんですよ。ぼくが思うには、ぼくなんかには考えつかないようなことを、予測される新時代に向かってやりたかったんじゃないかと思います。それは、日本のジャーナリズムの変革でもあったんじゃないでしょうか。


大伴は眠らなかった。「一日一日が新しく変わっていくし、東京の朝には朝の世界、昼には昼の世界、夜には夜の世界がある。それを全部見て歩くんだ。だから寝ている暇なんかないんだ」と言っていたという。


あの人は実にいろんな予言をしましたが、ほとんど当たっているんですね。「自分は40歳前に死ぬだろう」という予言も適中しましたね。「大伴の名は忘れられる」これも彼の予言なんです。


大伴昌司の再評価がされていないというのは、やはり問題ですよね。肝心の雑誌編集者の中にも、今自分がこうしてヴィジュアル雑誌を作っていられるのも、大伴昌司の有形無形のおかげをこうむっているということを理解してる人がどれだけいるか。それを考えると、なんともさみしい状況だと言わざるをえないですね。


 


証言構成 OHの肖像―大伴昌司とその時代