「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「駅名で読む江戸・東京」(大石学)

私の大好きな地理ネタ。この本は、東京都内のJR、私鉄、地下鉄の駅名を取り上げ、その由来や地域に関わる事件、物語を文献・史料に基づき丹念に拾い集めている。江戸時代以前は「亀無」という地名だった「亀有」になったのは有名だよね。そのエッセンスを紹介しよう。


【東京】


慶応4年(明治元年、1868)7月17日に「江戸を東京とする」という勅書が出され、京都(西京)に対する東京の呼称が決定した。9月8日に明治と改元され、10月13日に天皇は「東京の皇居」を江戸城改め東京城に定めた。しかし、法的な手続きで正式に江戸が東京と改称されたわけではなく、慣例として現在まで東京と読んでいるにすぎないのである。明治中期まで「東亰」と書いたり「とうけい」と呼ぶ言い方もあったが、やがて使われなくなった。「千葉県の県庁所在地は千葉、神奈川県の県庁所在地は横浜なのに、東京都はどうして新宿ではなく東京なのか、その東京とはどこなのか」という質問がある。じつは東京という場所はなく、県庁所在地もまた慣例として東京と呼び習わしているだけなのである。他方、東京は日本を代表する地名にもなっている。千葉県にあるのに東京ディズニーランド新東京国際空港という名がつけられたのはこのことによる。


【渋谷】


地名の由来は二説ある。一節はこの付近は海辺で「塩谷の里」といい、若干掘れば海底の土砂が出てくるのがその証として、塩谷→渋谷唱転説。二つ目は、渋谷周辺に渋谷氏の一族金王丸の旧跡があることから、相模の国の渋谷庄(現神奈川県藤沢市大和市)の渋谷重家の一族が住んでいたという説。モヤイ像は、イースター島のモアイ像とはまったく関係ない。両面に顔が彫られており若者風のほうには「アンキ」、老人風のほうには「インジ」という名前がつけられている。「モヤイ」とは、共同作業の意味で、渋谷の若者たちにも連帯の気持ちを持ってほしいという願いから伊豆七島の新島から贈られたという。


【赤坂】


赤坂の由来には二つの説がある。一つは赤根山説。これは「赤根山の坂なので赤坂とよばれる」(『御府内備考』)とするもの。もう一つは赤土説。「この周辺の土地は赤土であり、美濃国三河国の赤坂と呼ばれる土地も赤土も多いためつけられた名前なので、ここの赤坂も赤土のため赤坂と呼ばれるようになった」とするものである。坂名としては「紀伊国坂」に譲ったものの、地名としては現在も生き続けている。


【湯島】


かつて湯島天神の近辺で温泉が湧き出ていたことから自然とそのあたりを住民が湯島と呼んでいたことに由来する。


錦糸町


錦糸町の名は明治5年(1872)につけられたが(昭和42年に錦糸と改名)、江戸時代は錦糸堀と俗称されていた。当時この周辺にはたくさんの堀があり、町名はその一つの錦糸堀に由来する。錦糸堀の俗称についても、岸堀がなまったとか、琴糸の糸をつくっていたから名づけられたなど諸説ある。


【北千住】


『新編武蔵風土記稿』によれば嘉暦2年(1327)、新井図書政次が荒川で千手観音を取得したからという説や、足利義政の愛妾千寿御前が生まれた土地であるからという説。また『足立区史』によれば千葉市が住んでいたので千葉住村といわれていたのが、千住村になったという。どの説が正しいとはいえないが、古くからの地名であることは確かなようである。


雑学ネタとしても使えます。オススメです。φ(..)メモメモ