「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人は、なぜ約束の時間に遅れるのか」(島宗理)

 

この本はオモシロイ!(・∀・)

「私たちが日常、誰でも経験する事象を切り取って「人は、なぜそのように行動するのだろう」と問いかける。場合によっては逆に「人は、なぜそのように行動できないのだろう」と問いかけていく。そして、そうした問いかけを行動分析学」という心理学にモノづいた「視考術」という手法を使って考察していく」そのエッセンスを紹介しよう。


約束の時間に遅れる人は「だらしない」から遅れるのではない。ましてや、県民性や国民性のせいで遅れるわけでもない。それではなぜ、人は約束の時間に遅れるのだろうか。約束の時間を守るために必要な行動を引き出す先行事象(時刻表など)や強化する環境要因(予定通りに到着する)が欠如していることが原因かもしれない。


・約束の時間をいつもきちんと守る人と、約束の時間にいつも遅れる人。私たちは前者を「几帳面な人」、後者を「だらしない人」のように解釈し、「彼/彼女はそういう性格だから」と納得したりする。しかし「性格」は約束の時間に遅れることの原因にはならない。説明すべきこと(約束を守ること)に「几帳面」という名札をつけただけで、説明すべきことが説明できたような気持ちになってしまうところが循環論の罠である。循環論による説明は、説明ではなく言い換えでしかない。


人は、なぜ傘を置き忘れるのだろうか。そもそも「忘れる」という行動は存在しない。傘の置忘れという問題の原因と解決策を考えるのに、「記憶力」とか「注意力」といった個人の能力や記憶のメカニズムに関する難しい理論は必要ない。環境を適切に整えれば、行動は変わるのだ。


人はなぜ同じ過ちを繰り返してしまうのかを考えてみよう。最初におさえておくべきことは「過ち」とされる行動の一つひとつはそれぞれ別の独立した行動であって、「間違える」とか「失敗する」という行動は存在しない、ということである。「忘れる」という行動は存在せず、「傘を手に取る」や「財布を鞄にしまう」などの行動を微視的に分析することで、初めて「なぜ忘れるのか」が明らかになったのと同じで、「過ち」について理解するためには、そこにどのような行動があるのかを具体的に視考することが必要になってくる。


…うーん…傘を置き忘れないようにしたい…!オススメです。(・∀・)