「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「監察医の涙」(上野正彦)


父が亡くなったのが11年前、母方の祖母が亡くなったのが15年前。父方の祖母がなくなったのが30数年前。三人とも畳の上で亡くなった。畳の上で亡くなるのはいい死に方だといっていたけど、本当のことだろうか。


さて、この本。2万体を検死した元監察医が思わず涙した感動のドラマの集大成。忘れられない、愛と生と死のドラマ。そのエッセンスを紹介しよう。


・死体から真実の声を聞きとる、それが監察医の仕事である。死んだ人と会話できるようになったのはいつのころだったのだろうか。「今、死体と会話ができているな」と初めて感じた時は監察医になって三年ほど経ったころ、今でも忘れられない。丹念に検死をし、解剖することにより、なぜ死ぬことになったのか、もの言わぬ死体が語り出すのである。そして、一つ一つ、死にまつわるさまざまなことが明らかになっていく。


「毎日死体を診るなんて大変ですね。気持ち悪くなったりしないのですか」と聞かれることがある。私にはそういう意識はなかった。まず死んでいる人を扱っているという感覚ではなく、普通の医者が患者さんを診る感覚だった。話さない死体と向い合って、丹念に身体を見ていけば、私はこういう状況で死んだんですと語り出す。


私が扱う死体は生きているのである。生きている人と違うことは、喋らないということだけだ。だが、生きている人が喋らないことには嘘がある。しかし、喋らない死体は嘘をつかない。もの言わぬ死体から、死んだ原因を探り出し、死者の生きてきた時の人権を守る。そして事故死なのか、自殺なのか、はたまた他殺なのかを見極めその事件の背景や、なぜ死んだのかを探る


私は三十年にわたり二万体の死体と対面してきた。検死には切ない体験をさせられることが多いが、本当に検死に行くのが辛いのは、子どもの死体である。嘆き悲しみ、号泣する家族の側で行うことがほとんどないので、こちらも穏やかな気分ではいられない。


・二万体もの死体を見てきて、これだけは言える。自殺死体というのは、決して美しいものではない。もう一度、生きるということをよく考えてみてほしい。確かに、死にたいと思うほど苦しい時があるかもしれない。しかし、生きていれば、必ず道は開ける。