「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『パ・リーグどん底時代 激動の昭和48年』(佐野正幸)

パ・リーグどん底時代―激動の昭和48年

パ・リーグどん底時代―激動の昭和48年

現在のプロ野球では、パ・リーグが人気だ。西武はもちろん、日本ハムソフトバンク楽天と個性的な選手も揃い、昔のようにセ・リーグでなければいやだ!という選手も少なくなったようだ。(^<^)

しかーし!パ・リーグには思い出したくないどん底の時代があったのだ!それが昭和48年!私が野球に目覚め始めた9歳の頃。どんな激動の時代だったのか!?そのエッセンスを紹介しよう。


・昭和48年(1973年)は、長いパ・リーグの歴史においても、もっとも崖っぷちに立たされていたような年だった。本拠地球場を持たず、各地を転々とした球団、10ヶ月しかもたなかった(一年間に二度も身売り経験した)球団、7月に入っての一番の稼ぎ時に2週間も試合をやらなかった球団、なんとオーナーが他球団から移籍した誕生した球団…信じられいくらくらい不思議イヤーだったのだ。


巨人のV9に見る絶対的実力と人気、ON全盛期、漫画での巨人礼賛、テレビの急速な普及、パ・リーグ親会社の衰退、黒い霧事件のダメージなどパ・リーグにとってはあらゆる悪条件が偶然にも重なり合い、次第にマイナーイメージとなっていくのを誰もとめることはできなかった


昭和48年は間違いなく異常だったのだ。振り返ってみるとつらい中にもみな楽しんでいた。今はほとんどが消滅した昭和48年の球場のスタンドに座ってみたいとたまらなく思うのは、歳をとった証拠だろうか。


その他、「2リーグ分裂の火種、毎日新聞」、「私鉄グループと新聞グループ」「テレビの登場、普及にパ・リーグが乗り遅れた」「伝説の光の球場、東京スタジアム」「幻のペプシ、パイオニアの球界参入」「2シーズン制実施は阪急が強すぎたから!?」「新人から嫌われるパ・リーグ」「指名打者制(当時は投手用代打制)の導入」「太平洋、クラウン、日拓の新規球団」「太平洋の七色のユニフォーム」


懐かしいなあ!波乱万丈だったね。昭和48年を知らずして、現在のパ・リーグの隆盛を語ることなかれ。野球ファンにはオススメです。(^。^)