「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「力道山と大山倍達 不世出の二大巨頭」(大下英治)

子どものころ夢中になった梶原一騎原作の空手バカ一代』。大山倍達に憧れたなあ……。そして学生の頃に出会った自伝的マンガ『男の星座』ここではじめ知った『昭和の巌流島』で知った木村政彦ああ、また読みたいっ!!!
 
さて、この本は、上記二冊のノンフィクション版だね。
 
戦後の動乱期から這い上がった「プロレスの父」力道山「ゴッドハンド」大山倍達。「カラテ」で結ばれた二人の天才格闘家は2024年に力道山は生誕100年、大山倍達は101年を迎える。敗戦後、意気消沈する日本人にカラテチョップで勇気と自信を取り戻させた男、力道山。技の奥義を極め世界中に「オーヤマカラテ」を広めた大山倍達野望家と修行者、まったく生き方の異なる二人が「昭和の巌流島の決闘」で交差する。昭和を圧倒的な熱量を放ちながら駆け抜けた二人の生涯の光と翳を描く長編ドキュメント」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・大山も、力道山の手を取って、「こういう風に角度をつければいい」と教えてやった。ひととおり教え終えたとき、大山が言った。
 
幸せは、人間がくれるものではない。自分から、掴むものだ。特技も、同じこと。人に教えを請えば、先生も商売だ。ある程度までやれば、技を伝授し、『おまえは強くなる』と引導は渡してくれるだろう。だが、本来、特技は人がくれるものではない。人がくれるというのは、嘘だ。それは、物語だ。特技もまた、自分から掴むものなんだ
 
力道山は、先ほどのはしゃいでいた顔つきから、ぐっと真面目な表情になり、大山を見つめてきた。大山が訊いた。
 
「あなた、本当に強くなりたいのなら、わたしの言うとおりにやりますか?」
 
力道山は、恐縮し切って言った。「やってみます」大山は、さっそく砂浜ヘトレーニングに向かった。「じゃあ、一番初めに、これで腕立て伏せしてごらんなさい」 大山は、そういうとパッと逆立ちして見せた。ところが、力道山は、逆立ちができなかった。そのはず、力道山は、大山より四十キロも多い百二十キロも体重があった。
 
大山が言った。
 
「わたしは八十キロあるが、こうして逆立ちをし、そのまま腕立て伏せもできる。あなたには、腕の練習が必要だよ。今から、それができますか」
 
力道山は、「やる」と断言した。実際、彼は口だけではなかった。それからの三日間というもの、一所懸命にトレーニングに励んだ。力道山の努力家ぶりには、大山も感心した。間もなく、大山は帰国することになった。大山は、最後に力道山にこう言い残した。
 
「あなたは、これまでも自分なりに創意工夫を凝らして訓練してきた。これからも、力道式でやって下さい」
 
力道山大山倍達。生年が一年違いで、この時、三十前後である。二人には共通点が多い。格闘技という強いものだけが生き残る世界に己の生きる道を求めたことまだ貧しさの残る敗戦後の時代にアメリカをはじめ世界に雄飛した型破りな実行力そして朝鮮半島に出自を持つがゆえのアウトサイダー的な立ち位置。しかし、その生き方はまるで正反対とも言えた。力道山は周りの者を巻き込む求心力の強さから、プロレスをテレビ時代の大衆の娯楽へと育て上げた。時代そのものまで巻き込むほどの求心力であったが、多くの敵を作っみたそれは自らの敬意とはかけ離れた行動がもたらしたものであった。
 
かたや大山倍達は、真の求道者であった。ハワイにおいても、力道山に求められるままに空手の極意を伝授している。自らが強くなるためには血を吐くような修行も厭わないし、強くなろうとする人がいれば、惜しみなく力を貸すお人好しとも言える性向であるが、極真空手が世界中に広がった所以でもある。
 
二人はおよそ二年後の昭和二十九年の年末に合間見える。昭和の巌流島」「世紀の一戦」と謳われた、力道山木村政彦の戦いで、倍達は木村側のセコンドについた。陰謀説まで生まれたこの因縁の勝負に関わることになろうとは、この時まだ二人とも知る由もなかった。
 
・理由なき民族差別の真っ只中で、力道山が胸を張って生き抜いていくためには、出世するというほかに道はなかった
 
生前、力道山は、雑誌「知性」昭和二十九年十一月号の鍛練一路」と題する自伝で、大相撲の駆け出しのころを回想している。
 
《いま改めて、過去を振り返ってみると、鍛練、鍛練、 鍛練、それ以外には何もなかったようだ。寝ても、さめても、強くなろう! 強くなろう!」そればかりしか考えていなかったように思われる。強くなりさえすれば、それに附いて、自然に出世するし、生活も楽になるし、ファンも出来れば、人気も出てくる。弱くては駄目だ》
 
新弟子の生活は、辛く苦しい。買い出し、薪割り、チャンコづくり、給仕、洗濯。関取衆が風呂に入れば、背中を流す。巡業では大きな荷物を担がされる。使い走りをする。
そんな生活から脱するためには、強くなるほかなかった。関取衆が起きてからでは、新弟子は土俵に上がれない。それゆえ、力道山はどんなに寒い朝であろうとも、毎日暗いうちから起きて、土俵に上がり稽古に励んだ。
 
太鼓腹になるために、たらふく食べた。飯は丼で一度に十五、六杯はたいらげ、ビールも五十本飲んでびくともしなかった。 
 
・八月二十五日の夜更け、床に入った力道山は、なかなか寝つけなかった。
 
《十三年間といった長い間、ただ強くなろう、強くなろうと、角力ばかり見つめて生きてきた者が、それを捨てるということは、堪えられないことだった
 
 
・酒の席で、力道山が切り出した。「どんなことがあっても、人の足の裏を舐めてでも、金を儲けなくちゃいけないよ」 それまで楽しく飲んでいた大山は、とたんにムッとした。
 
それじゃ、対談であんたが批判したグレート東郷と同じじゃないか〉が、つとめて穏やかに言った。
 
「おれはそんなことはできない。武道家だからね。きみ、やれよ。きみは、金持ちになればいい」力道山は繰り返した。
 
「金がすべてだよ」大山は首を横に振った。
 
「わたしは、自分の信念を金のために曲げたくないよ」
 
力道山は、声を荒らげた。
 
「おまえね、そんなことを言うから貧乏だろう」
 
大山は、胸を張って答えた。
 
「貧乏だよ。だけど、きみには、決して金を借りに行かないから心配するな」
 
力道山は、苦笑し、それ以上何も言わなかった。

 

まさに力道山「修羅の男」だなあ。スゴイなあ。まさに不世出だね。超オススメです。(=^・^=)